活動報告・レポート
2022年3月1日(火)
卒業の言葉
向陽高校卒業式
向陽高校卒業式

自分の高校の卒業式は何年経っても覚えています。卒業生と連絡を取りましたが、「懐かしいなあ」「40年も前のことだけど今も覚えています」などの感想を交わしました。あのとき、昭和55年3月1日に僕たちは確かにこの場所にいて同級生との別れを惜しみました。卒業式を終えた後に交わした感謝の気持ちと寂しさ、これからの人生の不安を抱えながら高校を後にしました。「もうこの場所で授業を受けることはないんだなぁ」と思いながら、同級生との別れを惜しみました。

その後、長く校門をくぐることはありませんでしたが、同窓会役員になり同窓会長になってから、再び母校の校門をくぐれることの幸せに気づきました。母校と「今も関係性が保たれている」と思うと幸せな気持ちになりますし、在校生の輝く未来を応援し祝福したくなっています。それが卒業生としての気持ちです。

向陽高校卒業式

今日、前田校長先生から卒業生に贈る言葉は「責任ある行動」と「人にやさしく」の二つでした。高校を卒業した後は社会の一員として認められますから、「責任ある行動」が求められます。それはどんな立場にいても同じで、「一隅を照らす」ことのできる人になって欲しいとの願いから来たものです。

また「人にやさしく」は普遍的な価値を持つものです。問題が起きたとき、争いで解決するのではなくて相手の立場を理解して解決に導ける人になって欲しいとの願いだと思います。

卒業生の姿勢は立派で、卒業生代表の答辞も立派でした。3年間の思いが詰まった言葉を伝えてくれましたし、3年生の「仰げば尊し」「蛍の光」のピアノ演奏も立派でした。感染対策のため清聴だったのが残念に思いますが、静かさの中に卒業生の心が見えるようでした。

卒業生を送り出す先生が、生徒の名前を呼ぶ声も震えていました。きっと生徒と過ごした一年間の出来事を思い出していたからでしょう。意図的に創り出せない空気が体育館にありました。

向陽高校卒業式 向陽高校卒業式

卒業式を終えた後、前田校長は「校歌だけでも歌わせてあげたかったな」と言いましたが、本当にそう思います。校歌は何歳になっても覚えていますし、PTA副会長は「子どもが家でも歌っています。とても良い校歌ですね」と話してくれたように、学び舎を思い出させてくれる歌です。

卒業式を終えた生徒はそれぞれの教室で別れを惜しんでいることが分かりますし、クラスで校庭に出て写真撮影をしている姿も見かけました。校長先生は「卒業生は、恐らく2時過ぎまでいるのではないでしょうか」と言ったように、クラス全員で会う機会は今日が最後になります。旅立ちの後、クラス全員で会う機会はないと思いますから、同じ3年間を過ごした仲間との時間を一秒でも長く過ごして欲しいと願いました。

向陽高校卒業式 向陽高校卒業式

そして多くの卒業生には明日から受験が待っています。ゆっくりできるのは今日だけなので、思い出に浸る時間は限られています。今日の日のこと、三年間のことはいつか懐かしく思い出すでしょうが、生徒にとって今は現在進行形の真っ只中です。現在を思い切り楽しみ、また同窓生として会える日を楽しみにしています。

それにしても良い時代になりました。昭和55年は当たり前ですが、スマートフォンがなかったので、別れの瞬間の写真を撮ることはできませんでした。もちろん3年間で撮影した写真も少ないので記憶に刻まれているばかりです。ただ写真と違って色褪せないのは、記憶が上書きされ続けているからだと思います。別れの時を残すことができる卒業生の姿を見て、少し羨ましく感じました。仲間と撮影した写真は、この先、みんなを励ましてくれる大切なものとなります。本日、卒業される皆さん、ご卒業おめでとうございます。