肺がんと闘病中のYさん宅を訪ねて部屋に入ったところ、とびきりの笑顔で迎えてくれました。「昨日は苦しくて話もしてくれなかったのですよ」と子どもが話した後、Yさんから「しんどいときは誰とも話をしたくないからね」と話してくれたように、昨日と比較して今日は体調が良かったようです。
ベッドから「忙しい中、来てくれたことが嬉しいです。来てくれることが一番です」と話してくれました。依然と食欲がないようで、前回、お見舞いに来たときよりも痩せているように感じました。コーヒーが好きなので先日、香りを楽しんだ「ブルーマウンテンNO1」の話を伝えてコーヒー談義を交わしました。「ブルーマウンテンの香りはいいよね。でも最近はコーヒーも飲む気分にならないのです」と言うので「では香りだけでも楽しみましょう。NO1のコーヒー豆をいただいてきます」と言うとにっこりと笑ってくれました。
ご家族の皆さんから「今日は気分が良いみたいで、たくさんおしゃべりします。来てくれたので嬉しいのだと思います」と迎えてくれました。
癌細胞が熱を発しているため体温は38度ぐらいあり、ほとんど食べていないので体調は優れないようです。入院と自宅で過ごす選択肢があるのですが、本人と家族が「できる限り自宅で過ごしたい」と希望したことから、現在は病院から戻ってきています。
しかし今日のYさんの笑顔はとびきりで、たくさんの会話が弾みました。
「県議会が始まっているので、一般質問のときはテレビで応援してくださいね」
「みんなでテレビを観ます」
「コーヒー豆とメロンを持ってくるので楽しみにしておいてください」
「メロンは好きなんですがあまり食べられないかも。コーヒーは好きで一日五杯ぐらい飲んでいたのですが、今は飲みたいとは思わなくなりました(笑)」
「まん延防止の期間ですし外は寒いので、お家でいられる方が良いですよ」
「歩くのがしんどいし、何をするのも面倒臭くなっているのでね・・・」
などの会話を楽しみました。
来週以降もお見舞いに来ることを約束して、Yさん宅を後にしました。
今日があり明日がある。この毎日の繰り返しが人生であり、その繰り返しの日々がかけがえのないものだと感じます。大切な日々の中で、人と争うことや言い争いは止めないともったいないと思います。今日もロシア軍の侵攻によって命を落としている人がいますが、それぞれの利害があるにしても、人が人の命を奪うなんて何をしているのだろうと思います。
懸命に命の火を灯そうとしている人、他人によって命の火が消されてしまう人。天から生かされている使命の途中で命の火を消してしまうことは残念なことであり、大切なものを奪うことはしてはならないことです。
また命の会話に訪れたいと思っています。
「認知能力があったからこそ人間は生き残ってこられました」ということを前提として議論を行いました。ホモサピエンスは認知能力を有していたことから、腕力が強く体力もあるネアンデルタール人に勝って生き延びたのです。そして狩猟においても認知能力があったことから集団で狩りを行ったので食料を得ることができたのです。
認知能力とはまとまる能力であり、考えを統一して集団で行動できる能力のことを言います。この能力こそ、人間が厳しい環境を生きてきた条件だということです。
近年、集団で行動することやまとまることは自主性や個性がないと批判されることがありますが、この能力は人間が本能的に持っているものだったのです。孤立や孤独、そして分断などから、人間としてあり得ない行動を行い、悲惨な結果、争いを生み出している事件が多発しています。まさに人間が長い歴史を生き延びてきた能力に反する孤立や分断が、争いや事件につながっているとも言えそうです。
これは何もすべて集団の意思決定に従うことを意味しているのではなく、認知能力ですから反対意見があったとしても集団の決定、多数決には従うことがその時点で良い方向の結果を導くことを意味しています。もし方向が間違っていた場合は、その時に議論して正せばよいわけです。もちろん命に関わることは、別の議論になることは当然のことです。
近年は集団で行動することは良くないことだとの風習がありますが、全て悪いことだとは言えないように思えます。