和歌浦の屋外ステージで開催された「ジャズバンドフェスティバル」に行ってきました。これは「紀の国わかやま文化祭2021」の参加イベントで、青空の下、ジャズ演奏が繰り広げられました。案内をいただいたのは「山本友彦トリオ」で、このバンドを中心に参加バンドのジャズを楽しみました。
国民文化祭に参加していることと青空の下でのジャズ演奏は、日本社会が感染症から脱却しつつあることが実感できるものでした。元に戻るにはまだ時間を要すると思いますが、徐々にでも兆しを感じられるようになっていることを嬉しく思います。
演奏を終えたピアニストの山本先生が席まで挨拶に来てくれました。「屋外で気持ちのよい演奏でしたよ」と伝えると「ハプニングがありましたが・・」と笑いながら応えてくれました。何が起きるのか分からないのがライブなので、楽しむことに問題はありません。
案内をいただていたことに感謝しています。
劇団ZEROが演じる「名草姫」を鑑賞しました。この劇は和歌浦のアートキューブで初上演されて以来、地元の逸話を題材とした物語のためリクエストによって何度か上演されているものです。今回「紀の国わかやま文化祭2021」のイベントとして、さらにスケールアップして上演されました。
主人公は日本書紀に記されている「名草戸畔」で、名草地方を治めていたと言われている女王です。そこに東征してきた神武天皇一行と相対することになります。
言い伝えられている物語は、名草戸畔は侵攻していた神武天皇一行と戦となり敗退するものです。名草戸畔が復活しないように五体を切り裂かれて葬られることになるものです。
しかし劇団ZEROの物語は「名草姫」と争いをなくすためにこの国の統一を目指していることを伝え、両者が交渉をした後に「名草姫」が統一に協力することになるストーリーに仕上げています。戦うことなく「この国を争いのない国にするために統一が必要であり、神と対話できる力を持つ名草姫に協力を求める」こととなっています。
「名草姫」は争いをなくすために神武天皇に協力することになり、名草を離れて一緒に大和に行くことになります。言い伝えと違いますが、日本書紀には一行書かれているだけなので通説が正しいとは言えません。神武天皇は争いをなくすために宮崎県を大和に向かって出立していますし、道中、食料に困らないように農業を教えながら進行しています。その志と行動からすると「名草戸畔」とも争わずに平和的解決を図り、和歌山県を南下したと考えることが正しいと思っています。
つまり話し合いで解決しない相手とは戦いますが、平和を目指すことを話し合って合意を得た豪族とは友好的な解決を図ったと見るのが自然だと思うのです。
劇団ZEROは、その平和的に治めるという解釈をして「名草姫」の物語を創ってくれたと思います。日本の成り立ちを考えると、素直にこの物語の展開を喜びたいと思います。
名草姫を中心にして名草彦を登場させ、名草姫が去った後に名草戸畔を名乗り神に使える象徴を継承させることにしています。このように後継者は統治者と同じ名前を名乗ることで国を治めることは十分あり得ることです。
平和の社会を築く礎となった名草姫のことは現代にも語り継がれ、自然を愛し平和な地域を保っていることが分かる物語を現代の巫女が語っていますが、これは過去から現代に引き継がれている心をつなぐものです。現代に名草彦たちが登場することで、このことが理解できます。
解釈が難しいのが、カーテンが下りてから再び幕が上がって演じられたエンディングです。名草姫が大和から名草に戻って来た時に名草彦たちが迎えるシーンです。本当に名草姫が戻って来たのか幻なのか想像する以外にありません。
僕は、名草姫を導く女性たちの衣装が天女の装いなので、天国で再会した喜びを表現しているように感じました。ですから現実の世界で二人は再び会うことはなく、天国での再会だったように解釈しています。このフィナーレの華やかさは現実と考えるのではなく、平和な国づくりの使命を成し遂げた名草姫と名草彦を始めとする名草の人々が、天国で再会できた喜びを表現しているように思うのです。神武天皇がこの国を創りましたが、平和を望む多くの人達が協力してこの国を創り上げたことを想像させてくれます。
もう一つのヒントが、名草のお社に名草姫と名草彦が祀られていることを語るシーンです。離れ離れになった二人は再び会うことはなかったため、二人を知る地元の人たちがお社の中に一緒に祀って結び付けたのだと思います。
古の世界に誘ってくれた劇団ZEROの「名草姫」でした。