和歌山城ホールで開催されたシャンソン歌手のMIYAさんのコンサート「歌ある限り」に行ってきました。今日のコンサートの迫力は「生きる」ことを意識させてくれて胸に迫るものがありました。
MIYAさんは血液の癌の「多発性骨髄腫」を罹患した直後から、約1年3ヵ月の治療と入院、ベッドの上での生活をしていました。電話やお見舞いなどで様子をうかがっていたので言えることですが、舞台のMIYAさんに向かって「よくぞ和歌山城ホールの舞台で歌うことができるまで回復したね。魂の歌声ですよ」と伝えたいと思いました。
ステージで歌うことが奇跡だと思っていたので、立ってマイクを持つこと、座って語るように歌う今日の姿を形容する言葉は、残念ながら見当たりません。このステージを「頑張ったね」「復活して良かったね」「素晴らしいね」などの言葉で表現することはできません。
あえて表現するなら「生きることを楽しんでいるね」とでも言うべきでしょうか。
それはこれまでのコンサートで聞いていた歌声と全く違うものですし、生きる喜びを表現した腕と体の動きがありました。全く違う歌声と感じたのは「当たり前と思っていることは当たり前ではないこと、つまり生きていることが素晴らしいことであり、些細な日常こそが生きることそのものである」ことを伝えてくれたからだと思います。
立ち姿や歌声に力が入ることがなく、会場の空気と一体化したような感じがしました。空気が流れるように自然で透き通った魂が歌声を発しているようで、姿形が人ではなく魂が人であり尊い存在だと感じさせるようでした。だから僕はMIYAさんの魂がそのまま見えるような不思議な感覚で聴いていました。
想像できないような苦しさや辛さを感じ、周囲の支えによってそれらを克服して歌えるようにまでなったことで歌の技術ではなく魂が感じていることをストレートに表現できるようになったのではないかと、僕は勝手に想像しています。
会場の空気と一体化したステージが続き、ラストの一曲でステージは一転しました。苦しいことや辛いことに耐えて克服するための道のりのイメージから「生きることは明日に希望を持つこと」だと私達に呼び掛けてくれるような締め括りでした。人は最後の一秒まで生きているのであり、どんな状況であっても希望があれば最後の最後の瞬間まで幸せでいられることを伝えてくれたのです。
会場と一体化した自然の中の空気の感覚から、輝く未来の扉を開けるような感覚へと空気を変えたのです。苦しいことや辛いことだけが生きることではなく、その先にある希望を見つけることが生きることだと感じさせてくれました。但し、希望を見つけることは簡単ではなくて、自分を鍛えるために勉強や練習の機会を持ち、常に感謝の気持ちを持ち続けることで希望を見つけることができるのです。希望が見えると人は明日に向かって歩くことができますし、苦しくても辛くても、その中に幸せを感じることが出来ると思います。
きっとMIYAさんはそんな境地に到達したことから、今日のステージになったと思っています。今日の内面から聴こえてきた歌声は感謝と希望に染まっていました。感謝と希望に触れることが出来たから胸に迫るような感動があったのです。
こんな魂のステージを経験するのは初めてのことです。歌が聴く人を感動させるのは「生きる」ことを語りかけてくれるからであり、明日に向かって歩く勇気を与えてくれるからです。MIYAさんが感謝の気持ちで私達に歌ってくれたように、僕はMIYAさんに向かって、辛い闘病生活を耐えて復活したことを示す歌声で感動を与えてくれたことへの感謝の気持ちを届けたいと思います。
生きることを感じた凄いステージでした。心から感謝しています。
最大の親しみを込めて「掃除のおばちゃん」と呼びますが、会社にある皆さんの控室を訪ねました。ドアをノックすると一人の方がいてくれました。「片桐さん、来てくれたのですか」と驚いて迎えてくれました。挨拶をしていると仕事を終えた「掃除のおばちゃん」が戻ってきました。「わぁ、片桐さん、いま二階で片桐さんの話をしていたところですよ」と話しかけてくれたのです。「片桐さんの姿が見えなくなったので、『どうしたのだろう』と思っていたのですよ」と話してくれました。
続けて「私達のようなものに対しても挨拶をしてくれたり、声をかけてくれたのは片桐さんだけですから本当に感謝しています。いつも『親切で良い人だよね』と話していたのですよ」と話してくれました。
僕は「夏の暑い日でも雑草を除去していることを知っていますし、冬の寒い日にさえ、冷たい水に雑巾を浸して机やトイレを拭いてくれていることを知っています。大きなゴミ箱に溜まったごみをオフィスから持って行くのは力が要りますが、一所懸命に運んでくれていることも知っています。トイレに季節の花を飾ってくれていることも知っています。そして勤務時間は朝の6時からなのに15分以上も前から出勤してくれていることも知っていますから凄いですよね。仕事とはいえ出来ることではないですよ。挨拶が遅れましたが退職したので挨拶に来させてもらいました。これまで良くしてくれてありがとうございます。時々来ますから、引き続きお願いいたします」と伝えました。
「片桐さんがいなくなって寂しくなりました。こんな私達に対して、親切に声をかけてくれる人がいてくれたことを嬉しく思います」と応えてくれました。
地下の控室で仕事を終えたばかりの皆さんと、挨拶の言葉を交わした幸せな時間となりました。本当に心がきれいな素敵な皆さんに感謝しています。
大先輩と懇談する機会をいただきました。約一か月に一度の頻度で懇談しているのですが、いつも勉強させてもらっています。経験から来るアドバイスと、先を見通す力で状況と今後の展開を伝えてくれるのでとても勉強になっています。
先輩から嬉しいメッセージを届けてくれました。学ばせてもらっているのは僕の方であることを訂正しておきます。
「今日約1ヶ月振りに、片桐県議と情報交換会を行いました。情報交換会と言うより私が片桐県議のお話を聞くばかりで、議員は多くの情報をお持ちですし、何よりも博学多才であります。話の内容にうなずき、感心と納得が行くことばかりでした。
人と話をする場合、情報がお持ちで、何よりも自らの考えと哲学をお持ちの方との話に意味があるように思っているだけに、今日の片桐県議の話は大いに意義のある時間でした。忙しい中、私のために二時間あまりお付き合い頂いたことに、感謝で一杯です。厚かましいですが、また次の機会を楽しみに待つことにいたしました」。
先輩の言葉を心から感謝しています。