映画「氷雪の門」は歴史を刻んだ場面を見せてくれます。実話に基づいた映画で、後々の世に残さなければならない歴史を映画化してくれたものです。歴史の谷間に放置されないように映画として残してくれたので、私達が映画で歴史を学ぶことができるのです。
本日、稚内観光協会を訪れて意見交換を行いました。同協会長は樺太を訪ねた経験があるので説明してくれました。今では道路は整備されており、当時の日本の建物も今は目的を変えて活用されているとのことです。今ではサハリンとして、稚内市と観光や水産業で交流機会を持っているようです。また稚内市の観光の課題についても聞かせてもらいました。市内の人口が減少していること、ロシアとの国交の問題による水産業の現状、交通網の維持、学生が進学してしまうと再び稚内市に帰ってくれないことなど、現在の地方都市に共通する課題が浮かび上がりました。
会長の会社は稚内市の公共交通を担い市内の交通インフラを支えています。人口減少は経営を直撃するものですが、高齢化問題があり将来とも維持することが必要とされています。路線バスの維持は行政との連携と支援が求められる状況だと感じます。
更に樺太の歴史を学ぶために樺太記念館を訪ねたところ受付の方が、「以前、来てくれましたね」と覚えてくれていて声をかけてくれました。研修会に参加した皆さんと共に記念館を見て回りましたが、日本とソ連の国境があった北緯50度の石碑や当時の記録を見ると、ご一緒した皆さんから「どうしても悲しい気持ちになってきますね」と感想を聞かせてくれました。
歴史を知っていることは気持ちが共有できることです。同じような気持ちで歴史を捉えられること、話ができることは大事なことで、それが継承すべき歴史につながっていくと思います。
歴史を知っていても思いや考え方が異なる場合、その件に関しては共に行動することはできませんから、同じ歴史を語り継ぐことはできません。第二次大戦の樺太の歴史の考え方は「氷雪の門」が原点になっているので、それを知っていることが視察するうえで大事なことになります。
遠く樺太を眺める丘に建立されている慰霊碑と乙女の像は、真岡郵便局を見ているのか、北緯50度を見ているのか、それとも自分達が生きた時代を見ているのか分かりませんが、私達に平和な社会を築き維持することを示唆しています。悲惨なことを繰り返さないことも目的の一つとして私達は歴史を学び語り継ぐのです。
終戦を迎えた直後のソ連軍の侵攻の歴史を直接知っているものではありませんから、映画「氷雪の門」の理解を通じて感じることがあります。9人の乙女が生命を賭してわが国を護ってくれた行動は、決して繰り返してはいけない歴史があったことを伝えてくれています。
稚内公園に「慰霊碑があってよかった」と思います。この歴史を伝えようとして慰霊碑を建立してくれた人たちがいるから、私達はこの地を訪れることができ歴史を語り継ぐことができるのです。この歴史を伝える碑がなければ、北海道外からこの丘を訪ねる人は少なかったと思いますし、樺太の北緯50度から南の地域が日本だったことを知っている人は今よりも少なくなっていたと思います。
やはり後の時代の人が語り継ぐべき歴史を記録することは大事なことだと思います。私達の故郷、和歌山県の明治外交の歴史も同じです。故郷の外務大臣の功績を伝えるために岡公園に銅像が建立されています。この銅像がなければ語り継ぐために必要な「モノ」が故郷にないことになり、故郷の偉人を語る私達の講演も授業も、清掃活動にも影響していたと思います。
私達は銅像を建立することはできませんが「陸奥宗光先生乃像建立50周年記念誌」という形で残す予定です。この記録誌は県内の図書館などに配布する予定なので、後の時代の人の例え一部であっても読んでくれて、明治から令和の時代を生きた私達の志を受け取って、日本人としてその時代の行動を起こしてくれたら嬉しいことです。
稚内公園に立って故郷の未来を思いました。