活動報告・レポート
2021年10月24日(日)
陸奥宗光先生乃像の清掃活動
陸奥宗光先生乃像の清掃活動 陸奥宗光先生乃像の清掃活動

岡公園にある「陸奥宗光先生乃像」の周囲が雑草で覆われているので、「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」メンバーで清掃活動を行いました。前回、京橋プロムナードの清掃の時は夏日でバテましたが、本日は涼しくて清掃が捗りました。

最初に銅像周辺を見た時は「こんなに雑草が生えているんだ」と思ったほどです。敷地内の白石が緑に見えるほどだったので、参加メンバーで気持ちを込めて雑草を取り除きました。雑草を抜いて白石が見え始めると、ここの光景も心も透明になっていくようでした。透き通るような感覚に陥ったのは、偉人の心と私達の心がシンクロしたからでしょうか。銅像道周辺の前後左右の全ての場所が白色、心は透明になっていきました。

一人のメンバーが言いました。「こうして銅像の周辺を清掃できることは有り難いことだと思います。ここに銅像が建立されていなければ清掃できなかったのですから。だから掃除をさせてもらっていることに感謝しています」と話してくれました。掃除を嫌々ではなく「させてもらっている」という日本人が持つ感謝の心で実施している気持ちを伝えてくれたものです。

確かに、この場所に陸奥宗光伯の銅像が建立されていなければ、掃除に来ていなかったはずです。今から50年前の先人達に感謝することとなりました。実は先生乃像の背後に建立に協力した方々の氏名が石碑として残されています。

陸奥宗光先生乃像の清掃活動

目立たないところに石碑が建立されているのには理由があるのです。建立に尽力した皆さんは「陸奥宗光先生の銅像の前や横に私達の名前を残すことはおこがましいので、そんなことはできることはない。残すのであれば先生乃像の背後で良いのです」と思ったからだと聞きました。

建立した時の思いは「そうだった」と思います。しかし50年が経過した現在、建立の発起人の方々も故郷に貢献した偉人なのです。それぞれが故郷の偉人を称え、銅像を建立することで後世に伝えようとした思いと行動もまた称えられるべきです。発起人の方々は思いと共に資金も提供しているにも関わらず「目立たないようにひっそり」と背後に足跡を残しているだけなのです。

50年後の私達は建立の発起人が持っていた心も受け取っています。だから普段から先生乃銅にお客さんや学生さんを案内していますし、建立50周年記念式典や今日のように清掃を行っているのです。人が心で描いた結果、世の中に登場して形になったものは、当時の人を知らなくても思いを受け継ぐことができます。今の私達の活動も「陸奥宗光先生乃像建立50周年」記録誌として発刊する予定なので、陸奥宗光伯の功績と50年前の建立の時の思い、そして平成から令和の時代にかけて故郷の偉人を称え功績を伝える活動をしていることを、まだ見ぬ次の世代に伝えられるものと確信しています。

少なくとも外務省や文部科学省、和歌山県と和歌山市などの後援をいただき、県民の皆さんに対して形になる活動をしているからです。時代が過ぎてもこの活動が忘れ去られることはないと確信していますし、志を引き継いでくれる人が現れることも信じています。

清掃を終えて銅像の背後に植樹されている外務省から譲り受けた桜の木を確認しました。この桜の木は何者かに切られたものですが、生命は失われることなく新しい枝として成長しています。悪に負けることなく桜の木は蘇り、再び自らの生命を成長させようとしています。日が射すところに悪は存在できるものではなく正義の生命を育むのです。

陸奥宗光先生乃像の清掃活動 陸奥宗光先生乃像の清掃活動

今日、桜の木の成長を見た同会の事務局長は「これだけ成長しているので来春には花を咲かせてくれることでしょう」と誇らしげに語ってくれました。それは桜の木を見ての独り言だったかも知れませんが、清掃に参加したメンバーはその心を受け取り共有しました。

「秋の日に こころを磨く 草むしり」。こんな気持ちで清々しい気分で掃除を終えられたことに感謝しています。