活動報告・レポート
2021年7月24日(土)
稚内公園
稚内公園

ずっと以前、毎年の終戦記念日に映画「氷雪の門」が和歌山県民文化会館で自主上映されていました。当時、案内を受け2回観に行ったことがあります。その時にこの映画のことを知り、樺太で起きたソ連軍の侵攻の歴史を知りました。上映が禁止された映画だと聞いていたので和歌山市で上映してきた事実を知り「これは引き継ぐべきわが国の近代の歴史」だと感じました。しかしその後、この映画の上映会は中止されてしまいました。
沖縄の戦争の歴史を知っている人は多いのですが、樺太での戦争の歴史を知っている人は少なかったのです。上映の機会が失われ「氷雪の門」を観ることがなくなりました。何故かこの映画の記憶が残っていたこともあり、いつしか稚内市を訪れることになりました。毎年、稚内公園にある遠く樺太を眺める丘に建っている記念の石碑を訪ねています。当時、郵便局で命を絶った乙女達は、対岸の北海道稚内市に「渡りたかっただろうな」と思える石碑です。若い乙女達が命を賭してソ連軍の侵攻を止めたのです。彼女達はソ連軍を北海道に上陸させなかった功績者だと思います。

この歴史の出来事を伝えることがこの物語を知った人の役割だと思い、その後は知人、友人を伴って北海道稚内市の稚内公園を訪れています。今日も研修会を主催して、この地を訪れましたが、参加してくれた皆さんにも同じ思いを共感してくれていることを嬉しく思います。
稚内公園に立って樺太の方角を見た時、そこで起きた歴史を想像できることが大事なことだと思います。現場に行くことは知識を確かめること、頭の中のものを現場の空気と調合することです。その結果が歴史の想像力につながります。学者でない限り、歴史は物語として自分の思いを言葉で話すことが正しいと思います。歴史の事実はあるけれど、そこで語った言葉は後世の人は分りません。
だから歴史を学んで現場に行って、感じたことを自分の言葉で話すことが伝えることになるのです。伝えるとは教えてくれた人と同じ言葉で話すことや、いつも同じことを繰り返すことではありません。知識と共に物語は進化していきますから、話す内容も偉人の台詞も変わっても良いのです。歴史は暗記するものではなく、物語として伝えるための想像力だと思うからです。

稚内公園

映画を観たことから始まった樺太で起きた歴史の物語があります。知識を得てそこで起きた事実を正確に把握したとしても、人に伝えることや伝えるための行動を起こさなければ、主体にはなっていないので何の意味もありません。学んだことを自分の言葉で話せるようになり、主体的に伝える行動こそ伝えるべき歴史を埋没させないこと、そして後世に歴史を継続させることになります。知識を得た後は情報を得て、そのことを少しだけでも良いので深く掘り下げて知識を強化、時には現場を訪れて空気を感じたうえで人に伝えることです。
「氷雪の門」に示された乙女たちの精神は現代も生き続けています。忘れることは彼女達の取った行為を無にすることになります。時々は思い出して物語として語ることが、彼女たちに対してできることです。現地を訪れることも、この国を護ってくれた彼女達に対する感謝の気持ちを表す行為の一つです。

それにしても和歌山市から稚内市までの移動時間は長いのです。関西空港から千歳空港、そこから稚内空港までの行程です。長時間の移動時間にも関わらずに、ご一緒してくれた皆さんに感謝しています。

稚内公園

可能であれば、久しぶりに稚内公園を訪れてくれた皆さんと共に映画「氷雪の門」を鑑賞したいものです。知識を得て現地を訪れた後に映画を観ると、樺太でのこの歴史は自分のものになって人に語れるようになります。このことを繰り返して歴史は語り継がれていきます。近代史であっても語り継がないことには引き継がれませんから、人から学ぶ、現地に行く、情報を調べる、本を読む、映画を観るなどを大事にしたいと思います。

今日と明日、夏の稚内市で学びの時間とします。