活動報告・レポート
2021年7月3日(土)
ナームの会

令和3年になって初めてのナームの会が開催されました。コロナ禍のため中止にしていたのですが、和歌山市内での感染症が収まってきたことから実施したものです。今回は須佐元龍住職が「支えられて生きる」を議題として話を進めてくれました。

ナームの会

1.高速道路の休憩所でトイレを済ませて勤務先の大学まで運転していました。大学に到着する直前になって「携帯電話がない」ことに気づいたのです。どこに忘れて来たのか思い返したところ「トイレの中だ」と思ってので、職場に着いてからその休憩所の事務所に電話をしました。

そうしたところ「トイレの中にありました」という答えだったのでホっとしました。

仕事の帰り道に事務所に立ち寄ってお礼を伝えました。そして「どなたが事務所に届けてくれたのですか」と尋ねたところ「清掃のおばさんが届けてくれましたよ」ということでした。直接、お会いすることはできなかったのでお礼を伝えて事務所を後にしたのです。

その時に思ったことです。「会ったことのない清掃のおばさんが私の携帯電話を拾って事務所に届けてくれたことを。知らない携帯電話の持ち主のことを思って届けてくれたことを。私は知らない方にお世話になって携帯が戻ってきたことをしりました。

つまり人は知らない人に支えられて生きているのです。多くの人が社会の中で私を支えてくれているから生きているのです。そうです。社会のしくみは、私達を生かすようにできているのです。だから私達は人を支えなければならないのです」ということです。

人が人を支えて生きているしくみが社会なのです。私達が社会の一員であるなら、人を支えることが社会人だといえます。自分本位で過ごすことはできても、社会のしくみに反していれば生きることになりません。人は社会で生きているのですから、恩返しをして生きることが使命だと思います。

2.大学で教えているのですが、ある時、出勤して午後1時からの授業の準備をしていると突然腹痛が起きました。腹痛が起きたのは午前11時だったので「何とか治まるだろう」と思って我慢していたのですが一向に治まりません。

生徒が教員室に来た時「先生、我慢しないで病院に行くべきですよ」と言ってくれたので、 「そうしよう」と思い授業を休講にして病院に行きました。

ところが病院で検査をしても原因が分からなかったのです。「若い先生だったから経験がないので原因が分からないのだろう」と思っていました。「もう一度CT撮影させてください」と言うので撮影してもらったところ、「これから救急車で搬送します。絶対に動かないでください」と指示されたので、大病院に向かうこととなりました。

救急車の中では、救命士の方が親切に励ましながら話しかけてくれました。そのお陰で気分が和らぎましたが、病院に到着した後、直ぐに「検査をします」ということになりました。その結果、絶対安静で心臓の血管の手術をすることになりました。血管の壁は三重構造になっているのですが、その一枚の壁が剥がれてしまっていたのです。血流は弱いところに衝撃を加えますから、放置しておくと破裂することになります。

手術は成功して一週間で退院できたのですが、このことを考えると「人は人に支えられて生かされている」ことを気づいたのです。

生徒が「病院に行った方がいいですよ」と言ってくれたので病院に行ったのです。もし言ってくれていなかったら病院に行かなかったので、命にかかわっていたかもしれません。最初の病院の先生が大病院に行くことを決めてくれたので助かったのです。もし原因が分からないから痛み止めを処方して「異常が見当たらないのでしばらく様子を見ましょう」と言っていたとしたら、命は危なかったと思います。

救命士がリラックスされてくれたので心が安定しました。不安を持ったまま病院に行っていたら精神状態が不安定だったと思います。

そして先生が直ちに手術してくれたので命が助かったのです。

全ての人のお陰で生かされているのです。この時、一人でも欠けていたら生きていないかもしれません。人は人によって生かされているのです。しかも知らない人によってです。この社会でのつながりは大事にすべきことだと思います。

3.人の身体は主に酸素、水素、炭素で構成されています。宇宙が誕生した時に水素が発生しました。そして太陽系と地球が誕生した時に酸素と炭素が発生したのです。つまり私達の身体は宇宙と星が誕生した成分と同じ元素で出来ているので星から誕生しているのです。星から生まれたのが人間ともいえます。人は宇宙や地球と一体のものであるということは真実だと思います。

4.有り難いの反対語は当たり前です。社会は有り難いことで構成されているので、当たり前のことはないことに気づいてください。

僕が今回の話を要約したものは以上の通りです。