活動報告・レポート
2021年6月14日(月)
小名木先生講演会
一般質問の調査

和歌山県の歴史は分かっているようでいて、今回、一般質問で取り上げるために調べるにつれて分かっていなかったことを感じています。特に明治時代における和歌山県の置かれた立場とその後の経過で知り得たことがあります。明治政府の中での和歌山藩の存在は決して歓迎されたものではなくて、当時の人達の思いによって県名も歴史も文化も継続されたことが分かります。勿論、解釈の仕方や人によっては言うことが異なると思いますが、諸説があって認識が深まるものなので、「調べること、分かること」が大事なことだと考えています。

小名木先生講演会
小名木先生講演会

国史啓蒙家の小名木善行さんの講演会に参加しました。是非、お話を聞きたいと思っていたので楽しみに参加しました。期待を超える講演をしてくれたことに感謝しています。講演会で伝えてくれた内容の一部を記載します。

世界中、どの国でも自分の国の建国の歴史を教えています。唯一、教えていないのが日本です。日本人が外国に行った時、「日本はろくでもない国です」と言うことがあるようですが、その場合、「あなたはテロリストですか」と問い返されるようです。自国を悪く言う人はテロリストと見做されることもあります。

神武天皇の東征は侵略ではなく米作を伝えて豊かな国にするためだったのです。「征」の字は「正しい行い」という意味です。正しい行いをするために東を目指したのが東征です。8年間もかけて東征したのは米作を伝えるためで、もし侵略であれば8年もかけて進まないことは明らかです。

神武天皇は都をつくったのではなく、御屋と蔵をつくったのです。蔵とはお米を保管する場所であり、御屋とは屋根のある建物を表しています。つまりお米を保管する屋根付きの家屋を建設したことが「みやこ」の始まりです。支配するために都を定めたものではないのです。

建国の精神として「元々本々」という言葉が記されています。これは「元々大事だったことを本質にしましょう」という意味です。建国の精神を忘れないことを伝えています。建国の精神として「この国を楽しい国にすること」です。

徳という文字があります。徳は元々「眞の心の行い」という感じでした。真っすぐな心で行くことを徳と表現したのです。

豈国とは「喜びが溢れる楽しい国」のことです。豊かで安全で安心して暮らせる国、愛と喜びと幸せと美しさのある国のことを言います。日本は喜び溢れる国が原点です。

日本人の根本は感謝と真面目です。日本人の原点を忘れてはいけません。

神々はこの国を、明るく元気、笑顔いっぱいで、生命が溢れた愛情にあふれた存在であると考えていた。困った時は原点に返ることが大事なことです。

和歌山県は建国の時に一番力を発揮した県です。紀州の紀は始まりを表しますから、国の始まりが紀州なのです。

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利したのは意味があります。徳川家康が権力を欲したのであれば他の武将はついてきませんでした。権力ではなくて豊臣家が採っていた商業経済から民を解放し、生産者経済に転換させることが目的だったのです。

当時、佐渡の金山が発見されたのですが、金は一度、大坂に運んで鋳造しなければ流通できないようなしくみにしていたのです。これでは豊臣家が栄えるだけで生産地は貧しいままです。生産地に利益が残せるよう制度を転換しようとした戦いが関ヶ原でした。経済体制の転換は世界に誇れる事業だったのです。

わが国は疫病を抑え込んできた国です。天然痘などの疫病に打ち勝ってきた歴史があり、疫病に強い社会を築いています。神社が発祥となっている手洗いの習慣など、清潔な国づくりが根本にあるのです。わが国は疫病によって10万人以上、人口を失ったことのない疫病対策が出来ている国なのです。

僕からの質問と要望です。

「記紀」や「百人一首」など出典が同じものですが、教科書で教えられた歴史と小名木先生の話す歴史とは解釈が違います。どのような想像力で歴史を解釈しているのですか。

また和歌山県には「記紀」に記されていない口碑で伝えられてきた神話があります。田辺湾で嵐に遭遇した神武天皇が上陸して、その後、腰の太刀を海に投げ込んで嵐を鎮めたと言い伝えが残っています。この太刀を御神体として太刀ケ谷神社が存在しています。和歌山県に来てくれたので、是非、和歌山県の口碑を先生の講演の中に取り入れてくれることをお願いします。

先生からは「言葉の解釈です。言葉の表面だけを解釈する歴史家がいますが、それは薄っぺらいものになります。言葉の裏側にあるものが何かを調べることで生き生きとした解釈が出来ます」の主旨の回答をいただきました。

歴史を学ぶことの楽しさを感じました。