活動報告・レポート
2021年5月22日(土)
かつての県政の話
かつての県政の話

過去の和歌山県政の歴史を説明してくれました。これまで多くの政策が実現していますし、県土発展に結びついています。しかし現実のものにならなかった政策もありますし、やったけれど失敗に終わった政策もあります。

それぞれの政策には時々の事情がありますが、やるべきことをやらずに途中で終えてしまった政策や、やればできたのにやらなかった政策などは県民の利益を失わせています。見えていませんがこれは罪だと思います。本来であれば県民が得た利益が失われてしまったのですから。

やるべきことをやらないで消えていった政策の数々を教えてもらいましたが、それら過去の不作為が現在に影響を与えていることに関しては憤りさえ感じます。当時の責任者が、その職務を果たさなかったばかりに実現しなかった政策が存在しています。しかも決して表面化していないのです。一体、誰の責任なのかは今となっては判明しません。

担当者が懸命に道筋をつけたけれど上司がやろうとしなかった事例。上司の判断ミスで消し去った事例。全力で取り組んでできる状態に仕上げたけれど、政治的な問題で実現しなかった事例など、話を聞いて驚くばかりです。

問題にならないのは、実現しなかった政策の効果や経済的損失は分からないためです。実現していた場合の経済効果は測定できますが、そもそも「ないこと」になっているので損失度合いが分からないのです。損失が分からないため、前述のような様々な理由でそんなことが繰り返されてきたと思います。消えていった様々な事例を聞いたので、同じことが繰り返されないようにしたいと考えています。

さて一部に権限が集中するとこのようなことが起きる可能性が高まると思います。そこで権限を与えることが組織として必要なことです。そしてこのことは人を育てることにもつながります。

権限を与えられることで判断力、企画力、人脈が広がり人は成長するのです。権限のない仕事をしていても成長しないのは責任を取らなくてよいからです。

そしてリーダーが権限を委譲した場合「この仕事の責任は私が取るから思い切りやって欲しい」と伝えることで、さらに人は成長するのです。現実として権限者は、なかなか権限を譲ることはしないのです。人が成長しなければ、やがて組織は崩れていくことになります。

「組織は人」と言われますが、仕事を達成するための、社会的使命を果たすための原動力は職員さんにあります。トップだけで結果を出すことはできないことを忘れている事例も時々感じます。

職員さんがいて組織が成り立っているのです。ですから上手く行けば「職員さんのお陰」と対外的には言うべきであり、うまく行かなかった時は「私の責任」と言うことがトップの度量だと言えます。

ところが失敗すれば「部下の責任」と押し付けて、成果が出た時は「私がやったから」と発言している人がいますが、それはみっともないと思います。

謙虚にしていて手柄は人に持たせることがトップの器だと思います。それにしても県民の皆さんのために懸命に仕事をした人の歴史を聞いて、責任ある仕事をしている人がいるから、速度の違いはあるにせよ県政は発展していると感じました。今も現役で同じような仕事をしている職員さんがいると思います。見えないところで県政を支えている人がいることを知って欲しいと思います。

その他
  • 時短協力金に関する説明を行いました。飲食店の皆さんの「これで再開に向けてやっていける」などの言葉から安堵感を感じています。
  • 令和3年6月に予定しているコンサートの主催者の話を伺いました。コロナ禍で入場制限があるなど、エンターテイメント業界の厳しい環境を聞かせてもらいました。
  • 知的障がい者サッカーの支援について話を伺いました。この分野の知名度がないので、応援の輪を広げたいと思いを伝えてくれました。引き続き応援したいと考えています。