竈山神社で開催された雄叫祭に参列してきました。竈山神社は神武天皇の長兄である彦五瀬命をお祀りしている神社で、本殿の背後には彦五瀬命の墓である竈山墓があります。これは宮内庁が管理している墓となっています。
「日本書紀」によると、浪速国における長髄彦と戦いで彦五瀬命に矢が命中しました。この時「我々は日の神の御子だから、太陽に向かって戦うのは良くない。南下して日を背にして戦うべき」と言い神武天皇一行は南へ廻り込むことになります。
南下している時、紀の国の男之水門辺りで、彦五瀬命の傷が悪化しました。これも「日本書紀」の記述から毒矢だと推測されていると聞きました。この痛み、無念さから雄叫びをあげてお亡くなりなったことから、毎年、この彦五瀬命の命日の日に雄叫祭を行っています。
これも「日本書紀」によると紀の国の竈山でお亡くなりになったことからこの竈山の地に墓が築かれたということです。竈山神社の公墓の傍に「桜川」がありますが、彦五瀬命はこの川で傷を洗って毒を抜こうとしたと伝えられています。吉良宮司によると「この辺りはその当時、海だったので、一行はここに辿り着いたのではないでしょうか。公墓のあるところが丘になっているので島のような姿であり、その横を桜川が流れていたとも思われます」。竈山神社の現在の地名は和田ですが、和田とは「ワダツミ」から来ているもので「和田」とは海を表す言葉なので、海だったと推測できるのです。
今回の雄叫祭では、彦五瀬命の2683年目の命日をお祀りしました。「神武天皇が大和を建国される2年前に彦五瀬命はお眠りになられているので2683回目の命日となります」ということです。本日の雄叫祭はまたひとつ、長い歴史の一頁を刻みました。この竈山神社最大のお祀りに今年も参列できたことを嬉しく思います。歴史の一頁に関与できたこともありますが、昨年から今年にかけての新型コロナウイルス感染症のため傷ついていますが、わが国は長い歴史で疫病を克服してきた知恵と行動力があることを再認識できたからです。
神社にある手水舎は、日本人が日常から手を洗う習慣に結び付いけているものです。神社にお参りする時は、まず手水舎で手を洗って清めます。これ日常生活における習慣になったとされているので、日本人は実に2500年以上前から手洗いの習慣があるのです。外から帰ったから手を洗う、食事の前には手を洗うこと、トイレでも手を洗うことなどは、日本人であれば当たり前です。日本のレストランや食堂など食事場所では、テーブルに座るとまずお手拭きを持って来てくれるのも当たり前のことです。
清潔を保つことが衛生的で社会生活のルールとして定着している国が日本なのです。その元が神社ですから、日本人の生活に大きな影響を与えているのです。日本は古来より衛生的で清潔な生活様式を保っているので、本来であれば感染症に強い国のはずなのです。
しかし今日の感染症への対応は、日本人として持ち得ているはずの伝統から乖離しているように感じます。日本こそ世界で一番の感染症対策ができている国であるべきですが、必ずしもそうなっていないのは歴史を知らないからなのか、伝統的なものを大事にすることを忘れているのか分かりませんが、とにかくわが国の歴史の原点に戻って考えることは大切だと思うのです。
令和3年の雄叫祭ではそのことを感じていました。伝統を大事にすることは日本人の持っている生活様式や、人のため、国のためという当たり前のことを遵守する心を思い出すために必要な式典だったと思います。
豊かな国を目指した彦五瀬命の思いを今に伝える竈山神社、そして雄叫祭から、私達は現代社会の生活様式や日本人が古来より持っている心を考える機会となりました。
雄叫祭に参列してわが国の国づくりの歴史や、神社が私達の安心で豊かな生活に深く関わっていることなどを考えることができました。
- 「陸奥宗光先生乃像」建立50周年記念式典に関わる会議を行いました。実施内容の検討と共に式次第の協議を行いました。記念式典は令和3年8月21日を予定しているので、実行委員会として今から準備を進めています。
- 企業誘致に関する会議をリモート併用で行いました。コロナ禍のため実施できる今年は限られているので進捗速度は遅くなっていますが、決して緩めることなく協議を重ねています。
- ロケットと人工衛星製造と実現可能性に関する協議を行いました。宇宙開発はアメリカやフランスが先進国であり宇宙関連産業に関しては台湾が世界をリードしています。これらの国との協調と和歌山県の関係性について話し合いました。