今月、竈山神社で小野田寛郎翁の植樹15周年記念式典を計画しています。これは15年前に小野田寛郎氏が竈山神社に桜の木を植樹してくれたものが、今では大きく成長していることから記念式典を開催することにしたものです。記念式典の開催は、桜の木が成長したことだけではなく、名草戸畔と神武天皇の戦から約2600年の時を経て和解したことに意味があると考えてのことです。
神武天皇東征の折、地元の豪族である名草戸畔の戦いがあり、敗れた名草戸畔は五体を切り刻まれて葬られた伝説があります。その遠い昔の戦を忘れて、名草戸畔の末裔である小野田家が神武天皇の長兄をお祀りしている竈山神社に植樹をしたことで「和解」という歴史的な意味があるものです。日本書紀に記されている歴史から長い時を経て新しい歴史を刻むことになったのが15年前。そして今回の竈山神社での記念式典で、この歴史的価値を発信したいと考えています。
主催者である「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」では、わが国の歴史の舞台の一つである和歌山県、竈山神社からから歴史の一頁になる記念式典を発信することを誇りに思っています。
そこに協力者が現れました。実行委員会会員の呼びかけに賛同してくれた丸喜石材さんが「記念石碑」を建立してくれることになったのです。丸喜石材さんは先月の実行委員会に参加してくれて、気持ちよく協力の意思を示してくれました。
そこから石碑の制作に着手してくれて、石碑の大きさや書き込む内容の原案が完成、記念式典の日までに完成を急いでくれています。
本日、竈山神社を訪ねたところ、記念石碑建立の作業を進めてくれていました。石碑の基礎となる部分の作業でしたが、水平を取ることに苦労する地形ですが汗を拭きながら作業をしてくれていました。基礎を作っている場所の周囲に蚊取り線香をたくさん配置していたので「草むらに蚊がいるのですね」と尋ねたところ、「違います。この辺りにはマムシがいるようなので蚊取り線香を焚いています。マムシは蚊取り線香の匂いが嫌いだと聞いているので、作業に集中していると危険かもしれないので四方に香取線香を置いているのです」と話してくれました。
今は蒸し暑さと湿気のある気候なので、マムシが活動するのに適している時期です。気を付けながら作業を進めてくれていることに感謝するばかりです。
今月に開催予定の記念式典の場では文字を刻んだ「記念石碑」が建立されている状態になっています。建立された記念石碑を見るだけなら、記念石碑のない元の状態やどれだけの作業を行って完成させたのか分かりません。蒸し暑い中、汗をぬぐいながら、材料を運搬し水平を確保できるよう整地をして、石碑の基礎を作る作業を行ったことなどは、記念式典や公式の場など、表舞台では決して表面には表れません。丸喜石材さんが寄贈してくれる記念石碑の価値は、石碑の価値だけでなく、寄贈してくれるに至った気持ちと準備作業の中に込められているのです。
歴史を学ぶ私達にとって結果だけを見て評価することはしません。結果を出すために多くの人が関わってくれていることを知っています。その歴史として登場する人物は主役となった一人、または複数人の名前が刻まれているだけです。そこに関わった多くの人達の名前は残されていませんし、結果を出すためにそれぞれ関わった苦労、役割は埋もれてしまっています。
しかし歴史は一人で創ることができないことを私達は知っています。そこに関わった人たちの汗、涙、尊い志、そして見えない部分での行動があって初めて、歴史上に結果を残せているのです。主役は名前を残した一人だけかもしれませんが、知られていない人達の行動と志は確かにそこにあるのです。語れる人がいないので記録されていませんが、私達は歴史とはそこに関わった多くの人達の行動があって創られていることを知っています。
小野田寛郎翁の植樹15周年記念石碑はこの先、100年、200年と長くこの場所に、そして歴史に残ることになります。石碑だけが残ってどんな人が関わっていたのか、どんな思いで建立したのかなどは残らないと思います。しかし確かに関わった多くの人が存在しているのです。
蒸し暑い季節の作業があって記念石碑が完成することになります。この歴史の中では見えることはありませんが、本実行委員会での企画に賛同してくれたこと、この石碑を寄贈しようと覚悟を決めてくれたこと、そしてこの場での作業があって竣工することになるのです。
誰からも見えない取り組みを評価すべきだと知っている人が語るべきことは、結果を残すまでに関わってくれた人達の思いと功績です。
僕が作業現場を訪れた理由は、丸喜石材さんに感謝の気持ちを伝えるため、作業風景を実行委員会と後々までに語るためです。本当に大事なことは結果ではなく、その過程に関わって汗を流してくれた人の気持ちと行動だと思います。
蒸し暑い季節、マムシがいるような危険な作業環境、仕事ではなくボランティア、実行委員会の思いに応えてくれたこと。そして丸喜石材さんが語ってくれた「この歴史の一員になれたことに感謝しています」という言葉に込められた思い。この記念石碑に関してそれらを語ること、語り継ぐことが僕の役割だと考えています。
歴史は一人で創れるものではありません。記念式典の当日まで作業と準備を続けてくれる人がいるから築けるものです。丸喜石材さんに心から感謝しています。
- 紀北支援学校を訪ねたこと。小学校棟、中学校棟が老朽化しているので建て替えの準備が進められているので現場を確認したものです。現在、基本設計を終えて実施設計に向かう段階ですから、保護者の皆さんの意見を取り入れながら新校舎の早期建設に向けての支援を行います。
例えば生徒のための多目的トイレの設置、または既存のトイレの改修などは必要なことですし、校舎や渡り廊下の使い勝手への配慮も必要だと感じています。 - 生前、お世話になったMさんの告別式に参列いたしました。ご厚情に心から感謝しながらご冥福をお祈りしました。