一年かかった案件が解決したので、この問題の依頼者の方々に集まってもらって報告会を行いました。僕のところに依頼があってから1年、この問題が発生してから2年が経過していますが、無事に解決ができて今日の日を迎えました。この一年間の皆さんの表情には笑顔がなく難しい顔でしたが、今日の報告会では全員が笑顔になっていました。
「こんな日が訪れるなんて夢のようです」
「何もない日常がこんなに幸せだったと実感しています」
「よく解決してくれました。本当にありがとうございます」
「今となって言えることですが、たった2年で解決してくれたことで過ぎた2年間は短く感じています」
「気になってばかりで、この2年間は仕事になりませんでした」
「みんなと会って話が出来るようになったことで元の生活が戻りました。普通の暮らしがこんなに良いものだったのかを気づきました」
「もし相談していなかったら解決できなかったと思います。他の誰に頼んでも無理だったと思います」など、笑顔で感謝の言葉を伝えてくれました。
過ぎてしまうと短く感じると話してくれましたが、当事者であり問題の渦の中にいた人にとっての2年間はとても長かったことと思います。
そして次のように語ってくれました。
本当に感謝の言葉しかありません。日常生活がこんなに有難いと感じるなんて、もう感謝の言葉以外にありません。これだけ困難で私達にとって大事なことを解決してくれたことをみんなに伝えたいぐらいです。これまでのことを思い返すと、あまりにも多くのことがあり過ぎて、ただただ感謝するだけです。こんな日が訪れるなんて夢のようです。これまでの日を不満に思うよりも、今から訪れる幸せな日を噛みしめたいと思います。本当にありがとうございました。
皆さんからの最高の感謝の言葉です。社会には行政で解決できないことや司法でも解決が困難なことがあります。当事者間で解決すべきことだとしても、お互いの話し合いでは無理なことがあるのです。
当事者でも姻戚関係にもない、法的根拠もない、仕事を受けている訳でもない、そして委任状も預かっていない立場で案件に関わって相手を説得して解決することはとても難しいことです。
皆さんが今日、平穏な日が訪れたことに幸せを感じ、感謝の気持ちを持ってくれていることが嬉しいことです。これは立場や肩書ではなく、人として関わって結果が出たことを素直に喜びたいと思います。
問題発生からこれまでの期間、実に多くの方が協力してくれたお陰で解決に至りました。そこには信頼関係があったから乗り切ることができました。困難には結束して立ち向かうことの大切さを学んだように感じています。そして問題解決に向けて取り組んだ経緯は表面に出ることはないので、これまでの悩みや苦労、そして立ち上がった勇気のことは外部の方には分かりませんし、それで良いのです。
一人の方が「ようやく安心できる環境が戻ったことを多くの人は喜んでいると思います。しかしこれまで解決に向けて取り組んでくれた人がいるから解決できたことを知りません。みんなにどれだけ熱心に、そして長期間に亘って関わってくれたのかを知ってもらいたいと思います」と話してくれました。
「でも水面下で行ってきたことで良い結果が出たのですから、今から知らせる必要はないと思います。皆さんの暮らす環境と心が平穏になればそれで良いと思います」。
平常でいることが平穏であれば、何時、だれが何をしてきたのかはそっとしておいても良いことだと思います。これまで皆さんが耐えてきたことを称えたいと思います。
- Nさん宅を訪ねました。ここの玄関には以前からポスターを貼ってくれています。お礼を伝えたところ「新しいポスターが出来たら持って来て下さいね。いつも顔を見ていますから」と答えてくれました。笑顔で言ってくれたことを嬉しく思います。
- 髪の毛のカットに行ってきました。同級生のお店なので意見交換をしながらカットしてもらいました。