活動報告・レポート
2021年4月11日(日)
中華民国問題
中華民国問題

本日もリモート会議を行い意見交換と現在進行中の企画案の検討を行いました。日本国内での仕事と異なり、世界のこと、相手国の文化や歴史、仕事の進め方などを知って、協議を進める必要性を実感しています。同じアジアでも文化や考え方が全く異なるので、これがアメリカなどに拡大していくと更に文化と歴史、世界観、価値観が異なるので、合意に至るまでの道のりの難しさを感じています。それでも前進させていくことを話し合っています。

さて、当たり前のことですが台湾は正式には中華民国といいます。台湾の友人と語り合っている時に「日台」という言葉を使ったところ「違います。正式には日華です」と訂正されました。そこで台湾の歴史を簡単に記したいと思います。

中国大陸の近代史をおさらいします。清朝を倒したのは中華民国ですが、建国当時は内紛が続いていたので、まだ統一国家とはいえる状況ではありませんでした。当時、中華民国の国民党が政権を担っていた時に、ソ連を後ろ盾にしていた毛沢東が中国共産党を結成して国民党に対抗するようになりました。

二つの党を中心に中国は内戦状態になっていきます。両党が対立状態にあった時、日本が満洲国を通して中国の内戦にも干渉するようになりました。当時、圧倒的な日本軍に対抗するため、国民党と共産党は内戦を中止して団結、結束して日本軍と戦うことになります。余談ですが、このことを国民党と共産党を合わせたことから「国共合作」と呼んでいます。

その結果、日本軍が敗れ、中国から日本軍が撤退すると、再び内戦が始まるのですが、軍勢力は共産党が上回るようになっていくので国民党は次第に敗戦の色が濃くなっていきます。そのため大陸から台湾に逃れて亡命政権を樹立したのです。そして共産党は中国本土を制圧して中華人民共和国を建国します。

台湾に逃れた国民党は圧倒的に劣勢だったので、そのまま台湾に攻め込まれれば敗北してしまう状況にありましたが、アメリカが介入してきます。それはソ連による共産革命を脅威に感じたアメリカが、国民党政権の台湾を支援することで、中国が侵攻してこれないようにしたのです。

この時、中国と台湾という二つの中国が生まれたのです。その当時から長く台湾が「正式な中国」として認められていて、国連に加盟していたのも国民党台湾の方でした。

しかしソ連の後押しのため中華人民共和国が正当な政府と認められるようになり、国連の常任理事国にもなり、中華民国は国連を去ることになります。

そのため国際社会での台湾の扱いが難しくなったのです。国連の常任理事国となった中華人民共和国は、あくまで台湾は中国の一部であり亡命政権は認めないという「一つの中国」を主張します。

しかしアメリカは基本的に2つの国と捉えていました。これは現在に続く「二つの中国」の問題です。ただし中国の主張に対しては「Take note」、「留意する、書き留めておく」と表現したのです。但し、台湾に対する軍事的協力は継続しているので、留意はするけど台湾への侵攻や併合は絶対に認めないということです。

そしてわが国は「中国の立場を理解する」という立場をとっています。台湾に日本大使館はおかないで中国の主張を認める態度をとる一方で台北経済文化代表処を置き、1国として遇するような姿勢をとっています。

現在、中華民国の台北経済文化代表処として、東京には「代表処」、大阪と福岡に「弁事処」を設置しています。この機能は「代表処」は大使館、「弁事処」は総領事館のようなものです。

中国の「一つの中国」の認識に関して国際社会ではアメリカは「Take note」、日本は「中国の立場を理解する」という玉虫色の解釈をしています。

台湾の友人は「台湾のことは外国人には決して分からないですよ。台湾と日本人とでは感覚は違いますし歴史観も違います。外国からは中華民国が抱えている歴史認識は分からないと思います」と話してくれたように、民族の問題は本質的なことは理解が難しいようです。

但し、台湾との交流機会を得ていることから、理解できないまでも分かり合える関係でいたいと考えています。現在、毎日のように話し合う機会を持つことで信頼関係を確かめています。