和歌山大学の入学式が挙行されました。本日は新入生と、昨年の入学式が中止になったことから二年生の入学式のふたつの式典が行われました。二年生には一年間、入学式の中止、リモート授業など大変辛い思いをしてきたので、今日、入学式ができたことを嬉しく思います。新年度からの授業を楽しみながら受講してくれることを祈っています。
また入学式に引き続いて大学後援会総会が開催されました。経済学部の副支部長として総会に出席しました。ここでは、令和2年度決算案と令和3年度予算案などを承認してもらったので、新年度の活動に入ることになりました。また役員体制も承認してもらったことから、現執行部体制で活動を続けることになりました。コロナ禍において経済を学ぶことは、現代社会を学ぶことになるので意味のあることだと思います。これまでと全く違う社会を生きる学生の皆さんには経済理論を学んでいただき、そこから社会で実践できる経済のしくみを考えて欲しいと思います。
これまでの価値は転換される時代なので、新しい価値を経済にも生かすことを研究して欲しいと思います。本日の総会において、後援会として学生の皆さんを支援することを伝えています。
大阪観光大学の久野先生と泉南市の添田市議会議員が和歌山市を訪ねてくれました。目的は神武天皇東征の足跡を訪ねてのことです。泉南市内にも神武天皇東征の跡がありますが、その後は和歌山県に入っていることから、その行程の跡を訪ねているものです。本日は竈山神社、日前宮などを訪問する予定ですが、神社を訪問する前に「少しだけでも会う時間を確保してくれたら有り難いです」と依頼があり、和歌山県における「記紀の旅」や「神武天皇紀州編」について説明、そして懇談したものです。
竈山神社は言うまでもなく神武天皇の長兄である彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には公墓である彦五瀬命の竈山墓があるところです。今年は竈山神社を巡る動きがあるので、そのことも説明しました。
ひとつは雄誥祭です。毎年、彦五瀬命の命日である5月8日に開催されているものでお祀りを案内しました。そして今年は記念すべき式典が開催されます。それは15年前に小野田寛郎氏が竈山神社に桜の木を植樹したことに起因するものです。
神武東征の折、紀伊国名草郡において神武天皇と地元の名草戸畔との間で戦となり、名草戸畔が敗れて身体が切り刻まれたというものです。
その頭部が埋葬されて祀られているのが宇賀部神社であり、その神社の末裔が小野田寛郎氏なのです。つまりその時に戦った名草戸畔の無念の思いは2600年近く続いてきたのですが、植樹をきっかけとしてその思いは薄らいできました。今年、桜の木の植樹7周年式典を執り行うことによって、2680年以上の時を超えて和解することになります。時代を超えた神武天皇と名草戸畔が和解する歴史的瞬間に立ち会える時が訪れるのです。それが令和3年5月16日の式典となります。
そんな記念すべき竈山神社の両式典への出席の案内をさせていただきました。また「記紀」には記されていない太刀ケ谷神社についても触れました。名草戸畔との戦いの跡、神武天皇の一行は紀伊半島を南下するのですが、台風に遭遇して白浜町にある湾に避難します。そこで祀られているのが神武天皇の太刀で、その太刀を御神体として太刀ケ谷神社があります。
「今回は和歌山市内ですが、次回は是非、太刀ケ谷神社を始め阿須賀神社や渡御前社などを訪ねて欲しい」ことを伝えました。
泉南市にも神武天皇東征の跡があるので「これを機会に泉南市から和歌山市、そして和歌山県の神武天皇東征の跡を一緒に語り継ぐことを目指せたら良いですね」と話し合いました。
久野先生からは「日本人はわが国の歴史を知る必要があります。歴史を語れない日本人では誇りを持てないからです。大阪府と和歌山県はIRを誘致していますが、もし実現した場合、外国人に対して日本の歴史を伝えられるだけの知識が必要です。外国人に対して自国の歴史を語れない国民は恥ずかしいことですし、そんなことでは尊敬されない国になってしまいます」と話してくれました。
まさにその通りです。2025年までにせめて地元だけでも神武天皇東征の歴史を語れるようになりたいものです。
- 企業誘致に関する協議を行いました。企業誘致にはスピードが必要であることや役割分担を行いながら取り組むことを確認しました。
- 書道教室で子ども達のお稽古と学習の様子を見させてもらいました。元気で学ぶ子ども達の姿勢に接して和みました。