活動報告・レポート
2021年3月5日(金)
一般質問二日目
一般質問二日目
一般質問二日目

県議会定例会一般質問の二日目を迎えました。本日は4人の議員が登壇して知事、関係部長と質疑を交わしました。二日目の、同僚議員の主な質疑を記します。

カーボンニュートラルの和歌山県の取り組みに関しては、県一丸となって脱炭素社会の実現を目指すことを示しました。そのため和歌山県環境基本計画においても、カーボンニュートラルも目指す方針を掲げ策定することになるようです。

その他、新型コロナウイルス感染症対策や県立高校の今後のあり方、民間小型ロケット発射場や県内就学旅行についての質疑が交わされました。いずれも県政の課題に関して大切なことなので、質疑を聞くことで勉強になっています。

また本日、議長宛に一般質問の通告を行いました。質問項目は次の通りです。

  1. 企業誘致や新産業の取り組みについて
    (1)和歌山県の強みを生かした企業誘致について
    (2)水素エネルギー供給県を目指すことについて
    (3)南紀白浜空港の更なる活用について
  2. コロナ禍における事業者の支援について

以上のように、大きく2つの項目について質疑を交わすことを考えています。質問内容の内容を現在、作成しているところです。和歌山県の将来の発展につながるような政策提言をする予定です。

道路元標記念碑の感想

一昨日の活動報告で記した「道路元標記念碑」について感想を寄せてくれました。早速、意見をいただけることは有り難いことだと感謝しています。

ブログ拝見しました。「道路元標記念碑」のある京橋から約40km離れた旧高野口町名古曽の地にある十里松まで、陸奥宗光が10歳の牛麿(うしまろ)と呼ばれていた頃に、父宗広の田辺城幽閉に続いて処払いにあったのです。その十里松の跡地であり、今は五代目になる松の木を十里松顕彰会会長である西岡裕宣さんが管理して下さっています。

宗光は9歳で紀州藩のために働いていた勘定奉行の父宗広が悪者にされて失脚します。その翌年、10歳の時に家族が十里処払いとなり、家も財産も何もかも奪われ苦渋の生活に入ります。この少年時代の不条理体験から、いつか自分が正しい政治、人のための政治を志すきっかけとなったのです。

まだ幼い10歳までには、牛麿は京橋を通っていたかも知れません。

という感想です。

江戸時代から今日まで、「道路元標記念碑」を舞台にした物語が歴史を超えて繰り広げられてきたと思います。大和街道の始発点であり終着点のこの場所は、今で言うところのターミナルですから、多くの人が行き交い、人の数だけ物語があったはずです。交通の要所ですから、陸奥宗光も幼少の時に訪れていたと思うのが通常です。歩いて周れるまちなかに、紀州の歴史がひっそりと佇んでいます。

和歌山城周辺を整備するのであれば、歴史的に大事なこの地点の整備も同時に実施して欲しいと思います。この道は江戸時代の生活の拠点であり、活き活きとした姿があった場所であり、経済交流、文化交流、そして維新へとつながった道だからです。建物を残すと同時に文化も残さなければ、当時の人達の思いや志を知るすべはありません。

紀州の「道路元標記念碑」と、ここから始まっていた大和街道、ここが終点の大和街道の歴史を大事にしたいと思います。