3月1日は和歌山県公立高校の卒業式です。案内をいただき、母校である向陽高校の卒業式に出席させていただきました。やはり卒業式の雰囲気は特別で、何とも言えない凛とした空気が体育館に張り巡らされていました。今年はコロナ禍のため音楽に合わせて斉唱しないことや在校生が参加しないなど式を簡素化していましたが、それでも卒業生の気持ちが伝わって来て感動しました。例えば、「仰げば尊し」と「蛍の光」は卒業生を代表して二人の生徒が演奏しました。感情の入った素晴らしい演奏でした。校長先生に尋ねると「卒業式でこの二曲を弾く生徒を募って予選をやりました」ということでした。
また卒業生代表の送辞を聞いた時に心が詰まりました。
- 高校三年生の一年間は本当に辛いことばかりでした。6月迄はリモート授業で同級生と顔を合したのは6月になってからだったこと。
- 春の行事は全てなくなったこと。秋の体育祭も文化祭もなくなったこと。もう一度、仲間と一緒にチーム対抗戦もやりたかったし、模擬店もやりたかった。
- インターハイも甲子園も中止で、クラブ活動をやり遂げることができなかった。クラブの仲間と一緒に戦いたかった。
- でも向陽高校での仲間との時間は、かけがえのない時間だったことだと気づいたこと。辛い思いを感じた仲間だからこそ、卒業しても仲間でいられること。
- 昨年、先輩が卒業した後、自分達が先輩のクラブや体育祭の成績を超えたいと思ったし、文化祭では、先輩の演劇を超えたいと思っていました。それが出来なかったことは残念です。
- これからは支えてくれる先生も同級生もいないけれど、辛いことがあれば向陽高校のことを思い出せること。
- すみれの花は寒い冬であればあるほど、春にはきれいな花を咲かせます。高校三年生という冬は長かったけれど、きれいな花を咲かせることが出来ると思います。
この一年間は辛いことが多くて、勉強やクラブ、同級生との時間が十分に取れなかったことが分かります。大変な環境の高校生活を過ごしていたと思って心が詰まったのです。
卒業式の直前、一昨年の卒業式に出席した時、卒業生を送り出した一年生が今日の卒業生だったことに気づきました。「あの時の一年生が高校生活を過ごして、もう卒業の年を迎えているんだ」と思うと、高校生の三年間はそれこそ一瞬であり「瞬く間」だと思います。ただ在校している時の学校生活は当たり前すぎて、かけがえのない時間だと気づかないのです。
送辞でも触れていましたが「憧れの向陽高校に入学した時は、まさか自分に卒業する日が来るとは思ってもいませんでした」と言葉の通りだと思います。自分の経験からしても、入学した時は卒業する日が来るなんて全く思わないのです。この楽しい高校生活がそのままずっと続くと思っていたと思います。ところがありふれた言い方ですが「光陰矢の如し」です。光の速さで三年間は過ぎ去ります。毎年、同じように季節は巡りますが、高校の三年間という季節は二度と訪れないことに卒業してから気づきます。でも、何気ない日常の風景のあった時間は人生の宝物だと思います。細かなところまでは覚えていないけれど、確かに存在した同級生達との時間は愛おしい時間に変化していきます。
今日の卒業式に出席したことで、何年経っても変わらぬ春の訪れを感じて新鮮な気持ちになりました。そう昭和55年の僕たちの卒業式で流れた曲は、当時流行っていた「贈る言葉」でした。
しかし当時の僕は「贈る言葉」というと当時ファンだった柴田翔の小説をイメージしていたので「海援隊」の「贈る言葉」は「柴田翔の真似たものじゃないか」と思っていました。今ではどちらの「贈る言葉」も胸に残ります。
話は戻ります。令和2年度卒業生の皆さん、おめでとうございます。