お世話になっているXさんと昨年来の課題ついて、今からの対応について協議を行いました。
課題解決は状況によって進め方が異なるので、定型的な方針はありません。全ての課題は応用力が必要となりますが、その前提として信頼構築があります。課題に対応する人同士の信頼関係は当然こと、対応する相手との信頼関係も必要です。嫌いな人との間の課題を解決することは難しいのは、そこに信頼関係がないからです。嫌な相手であっても、向き合う必要がある場合、良いところを見つけなければ話し合いはできません。
顔を見たくない相手と話し合いはできないように、仮に代理人を立てて話し合ったとしても解決は困難です。そこに少しでも信頼のかけらが必要となります。その本人同士が対立している場合、間に入ってくれる中立的な第三者がいることは必須だと思います。
ただ中立と言っても依頼した方の立場に立つことになるので、対立する相手から代理人は信頼されないところから始まります。弁護士など報酬を支払って解決する方法と違って、友人や知人に頼む場合は、相手と話し合って信頼関係を構築するまでに長い時間を要することになるのです。時には相手の立場に立って話を聞くこともあるので、依頼した人からすると不信を感じる場合が出てきます。その時、その友人や知人を信頼できるかどうかが、その後の展開の鍵となります。
金銭の伴う委任契約と違って、頼まれて人が動くのは前提として信頼関係があるからであって、そこに不信感があれば解決に向けて進みません。依頼した人が、依頼されて間に入っている人か悩むような、そして困るような言動をすることは許されないことです。
昨年来の懸案が前進したのは、Xさんが半年以上の時間を費やして相手との信頼関係を築いてくれたことにあります。そこには積み重なっている大きな時間と動いた費用、信頼につなげるための会話があるのです。僕はこれまでのXさんの行動と内心の全てを知っているだけに、感謝の気持ちでいっぱいになっています。
時間と言っても仕事の合間の貴重な時間、休日の大切な時間、小さな問題が発生した都度の朝夜に関わらないで費やした時間、訪問の際の手土産、出張や旅行した時に買ってきたお土産など、多くの時間と費用を費やしてくれたお陰で事態は収束に向けて進んでいるのです。
そして僕との時間も、この問題を協議する時間が含まれていますから、仕事量で言うところのこれに要した人日は相当な時間とコストになっています。
休日の今日もXさんと会って、今月のやるべきことについて協議しました。依頼者の知らないところで毎月のように、二人で話し合う時間を共有しています。物事が表面に出てくるまでには水面下で考えて行動して、対応を考え直すなど相当な時間を掛けているのです。但し、結構大変なことは一切伝えていませんし、仮に課題を解決したとしても結果は伝えますが、そこに至る過程を伝えることはしません。物事が治まるのは、当事者以外の人にとって何もしていないように感じる時間に動いているからなのです。
でも依頼者が思っている通りの結果が出さなかった場合は「何もしてくれなかった」と批判されるのですが、それはこれまで他人の相談に自らが真剣に対応じたことがない人だからだと思うようにしています。第三者として、人同士の難しい問題に対応することの苦しさや精神的ストレスは相当なものがありますが、経験していない人は分からないものだと思います。
今回の依頼あった課題に対して、半年近い時間を掛けて解決できる見通しがついたことは嬉しいことです。困難な課題に対応しているXさんとの信頼関係は、言うまでもなく当然深まりました。これがこれからの財産になります。
友人と新年の挨拶を交わした後、今年の「チーム片桐」の活動について懇談しました。令和2年は、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、チームとしての活動ができませんでした。月一回の会議は続けてきましたが、街の活性化につながる活動ができなかったことは残念でした。当初は、昨年3月に最初のライブイベントを行い、数回のイベントを予定していたのですが、全て中止となりました。今年はその分を取り返そうと協議をしているのですが、首都圏の緊急事態宣言、そして大阪府と京都府、そして兵庫県も、政府に対して緊急事態宣言の要請をすることから、イベント開催は見合わせる方向に向かいそうです。
このような状況下でできることはないので会合を持ちながら今後の対応を検討することにしています。