活動報告・レポート
2020年12月5日(土)
日本書紀編纂1300年シンポジウム
日本書紀編纂1300年シンポジウム
日本書紀編纂1300年シンポジウム

大阪観光大学で開催された「日本書紀編纂1300年シンポジウム」に参加しました。同大学の久野潤先生から案内を頂戴していたもので、教室で講義を受けてきました。

日本書紀編纂1300年の記念の年であることは周知のことですが、全国的にシンポジウムの機会はそれほど多くなかったように思います。日本書紀編纂1200年の時は、京都帝国大学での記念講演展覧会が開催され、東京帝国大学でも記念講演会が開催されていたようです。

講演の中で「日本書紀編纂1300年を記念したシンポジウムを開催した事例は聞いていない」ということでした。

僕からは次のような挨拶をしました。

日本書紀編纂1300年シンポジウム

和歌山としては日本書紀編纂1300年記念講演会を開催しています。また私達、故郷の偉人の功績を伝えようとしている会として「日本書紀編纂1300年記念講演会」を合計7回開催しているので、最も講演会を開催している県は和歌山県ではないかと思っています。これは令和2年が1300年の年になることは、それ以前から分かっていることなので、県議会でも取り上げるなど、記念すべき年に備えてきたからでもあります。

そして和歌山県では「わかやま記紀の旅」を発刊しています。地方自治体が「記紀」に関わる冊子を発刊することは珍しいことであり「日本書紀編纂1300年」を迎えるために発刊していることを皆さんに伝えたいと思います。一部の間では「記紀は神話である」などの意見がありますが、和歌山県では「記紀」が国史であることを記して冊子を発刊していることも併せて伝えたいと思います。

言うまでもなく和歌山県は神武東征の舞台のひとつであり、その足跡が記されています。僕も「わかやま記紀の旅」を元にその地を訪ねてきましたが、お集まりの皆さんにも、是非、和歌山県を訪ねて欲しいと思います。

例えば太刀ケ谷神社があります。白浜町にある神社ですが、神武天皇が立ち寄り、荒れている海を鎮めるために、自らの太刀を投げ込んだという言い伝えがあります。その太刀を御神体としてお祀りしたのが太刀ケ谷神社ですから、この神社も見所だと思います。

他にも「記紀」の旅を訪ねる場所がたくさんありますから、「日本書紀」の舞台となった和歌山県であり、今年、日本書紀編纂1300年の講演会を最も多く実施した和歌山県を訪れてください。よろしくお願いいたします。

講義に参加した皆さんに話をする機会をいただいた久野先生にお礼申し上げます。

日本書紀編纂1300年シンポジウム 日本書紀編纂1300年シンポジウム

さて講義で学びとなったことを以下に記します。

  • 神話と歴史について

記した人が書くに至った背景があったからです。全く何もないところから物語は生まれません。

当時の人がこの国に関して「そう考えていた」ことをまとめたものが「日本書紀」であり、神話と言われているものは、当時、多くの人がこの国の歴史として考えていたものを記したものです。

建物や工作物であれば、後世の人はその出来事や人物が確かに存在していたことを信じますが、形として残っていなければ信じてくれません。モノがないと伝わらないので、書きものとしての「日本記」を記したのです。当時の人達が信じてきたものを書き記したものなので、これは歴史の一つなのです。

繰り返しますが、思っていたことや信じていたことは歴史に残りません。思っていたことや信じていたことは形にする必要があるのです。それが書物であり神社なのです。書き物が「日本記」だとすれば、神社の由来はほとんどが出典は「日本記」なのです。その地に神社があることは「日本記」に書かれていることが正しいことの証明になるものです。何の由来もないのに神社がそこに存在していることはないのです。神社が「日本記」よりも後世に建てられたものだとしても、由来があるから由来に基づく神社か存在しているのです。

つまり神話と歴史は融合しているのであり、神話は歴史の真実性のひとつだと考えるべきです。

第十代天皇である崇神天皇が即位して7年目に疫病が流行りました。半数近くの人が亡くなったとも聞くことがありますが、まさに国難に見舞われたのです。天皇は「疫病が流行るのは信仰が足りないから」と思い、神社を建てています。それが大神神社であり「日本書紀」に書かれている通り神社は存在しています。これは神話が歴史でもあることを示しているひとつの事例です。

そして資料として、國學院大學の山口輝夫海軍少尉の遺書を紹介してくれました。

「実に日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じて来た祖先たちの純真そのものの歴史の姿を愛します。美しいと思います」という記述です。わが国の歴史、神代の有無よりも、書かれたことを純粋に信じて語り継いできた人達の精神が美しいというのです。「記紀」に記されたことが事実でないとするなら、何が事実なのか分からなくなります。この国の祖先が後世の人のために書き残してくれた記録を信じる心は、確かに美しいと思います。

日本書紀編纂1300年記念講演に相応しい内容でした。