和歌浦に興味を持って調べている元医師の方と話をした時のことです。
聖武天皇が和歌の浦の絶景に感動して、その時の地名である「弱浜(わかはま)」を「明光浦(あかのうら)」と改名を命じたと言われています。それは西暦724年10月のことだと言われています。
このことは「続日本記」では次の様に記されているようです。
「山に登りて海を望むにこの間最も好し。遠行を労せずして以て遊覧するに足る。故に「弱浜(わかはま)」の名を改めて「明光浦(あかのうら)」と為せ。宜しく守戸を置きて荒穢せしむることなかれ。春秋二時官人を差し遣して玉津島の神・明光浦霊(あかのうらのみたま)を奠祭せよ」
絶景に感動して地名を変えてしまうほどですから、天皇が見た和歌の浦は当時の人の憧れの地だったと思います。
その地名の名残が、和歌浦にある商店街である「明光通り」であり「明光橋」だということです。聖武天皇が命名した「明光」の名を現在に留めている和歌浦の凄さを感じます。この元医師は現役を引退した後、故郷の歴史を調べています。歴史から見ると最近のことである和歌浦にある明光商店街のことでも、なかなか命名の経過が把握しにくいそうです。歴史を解き明かすのはその出典記録と口碑と共に推理があるように思います。
「則天去私」という言葉を教えてもらいました。これは夏目漱石の文学観とされていると聞きました。意味は次のようなものだそうです。
「小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉」
短く言い換えると「自我の超克を自然の道理に従って生きることに求めようとしたもの」で、これは夏目漱石の造語だということです。
Yさんは「宇宙の意思に沿って生きることの教えです」と話してくれたのですが、全体を把握することが難しい考え方です。この宇宙の意思とは多くの人が語っていますが、それは何もないところから生まれ成長していく過程の意思であって、それは良い方向へと導かれていくものだと認識しています。
良い方向に向かわないことは宇宙の意思に反している。つまりうまく物事が進まないということです。そして良い方向に向かわせる鍵は言葉にあります。良い言葉を使うと宇宙の意思に沿って事態は展開していきます。「嬉しい」「楽しい」「幸せだ」「信用している」「大丈夫」「ありがとう」などの言葉を多く使うことが宇宙の意思だと思います。
なので、良くない言葉を使うことは宇宙の意思に反しますから、自分が思っても思うように進まないのです。相手を責める言葉は典型的なものですから、成長や良くなっていく過程には必要ない言葉だと言えます。
宇宙の意志は全体を見渡したものの見方であり、それに沿って行動することで自らもそこに調和し良い方向に向かうと言うことです。対して自分の意志とは、自分中心の考え方、行動であり、他人との調和が図れないことが多いのです。これは宇宙の意思に反していると言えます。
夏目漱石の「天に沿って自分を去る」考え方は宇宙の意思に沿うことを諭してくれているように思います。