エネルギー問題研修会の二日目は、幌延深地層研究センターを視察しました。現在、北海道内の二つの町村に処分地選定調査の動きがあり、その研究の最新の状況を確認するためこの施設を訪れました。現在、幌延深地層研究センターは地下約350メートルまで掘って研究を続けていますが、この深さは東京タワー並みであり、わが国の技術の凄さを感じるものです。
技術を維持するためにはどうしても現場が必要です。技術の維持向上のためには現場、机上の両方が必要で、将来に備えた研究、実験を行なっているセンターの必要性を感じました。社会は誰が見えないところで支えてくれています。人間が活用できる社会システムは誰かが維持してくれているのです。
地層の研究しているのは幌延だけなので、ここがなければ地層処分研究は到底できないと言えます。関係者の方々の説明、案内に感謝しています。
また宗谷岬を訪ねました。今日の岬は晴れ渡り、遠く樺太を見ることができました。
樺太と言えば映画「氷雪の門」を思い出します。今回、高台に登って「九人の乙女の像」を見ることはできませんでしたが、稚内市を訪れると常にこの映画を思い出します。
先の大戦で起きた命をかけた方々の「生きたかった」の思いを忘れてはなりません。命を賭してこの国を護ってくれたから、現在の繁栄と平和があるのです。私達は犠牲の下の繁栄ではなく、全ての命を護っての平和を目指すことが役割だと思います。
歴史を学ぶことでそのことがわかりますが、ここで言う歴史とは、志を持って人が活動した歴史のことです。志や思いを読み取ることが歴史を学ぶことであり、年号と出来事の暗記は大人が学ぶことではありません。生きた歴史は人が生きた足跡のことであり、そこには人を行動に導いたきっかけがあります。歴史の役割に気づくことが人を動かす動機になりますから、学ぶことは生きている私達にとって大事なことなのです。
宗谷岬から見た青空の下、穏やかな海の中の樺太は、当時ここで生きた、そして生きたいと願って思いが叶わなかった人の志が今も生きています。そんなことを感じました。
歴史の現場を訪れる旅に偉人の志を思い出して触れることができます。やはり知識を得て現場を訪ねることは大事だと思います。歴史の出来事は点ではなく現代につながりメッセージを発してくれていますが、気づかなければ点になってしまいます。そのメッセージを見落とさないようにしたいものです。
ところで宗谷岬付近に多くの風力発電設備が建設されていました。このような光景を見ると思い出すことがあります。研修で訪れたサンフランシスコ郊外のウインドファームの光景です。
1980年代、まだ風力発電は採算性が良くないことからわが国では珍しく、アメリカの光景は新鮮で衝撃で「さすがアメリカだ」と思ったものです。バブル経済最盛期の1980年代は日本の時代だと言われ、アメリカの不動産を買いまくっていた頃でした。
でも最先端技術はアメリカがリードしていて、「日本の繁栄はこの先も続くのだろうか」と思いましたが、その後、バブル経済が崩壊したことは言うまでもないことです。今でも1980年代の古き時代から新しい時代に生まれ変わろうとしていたアメリカを懐かしく思い出します。国力が低迷していても技術は大事だと考え新技術を研究、開発していたのです。今ではたくさんの風力発電の光景は珍しくなくなり、風の強い場所の環境に馴染んだ当たり前の光景になっています。でもこの光景は、宇宙基地かと思ったウインドファームを訪れてから30年余りが過ぎている、僕にとっては衝撃的な懐かしい光景なのです。
帰路、稚内空港から千歳空港を経由して関西空港に降り立ちました。和歌山市に到着したのは午後12時になりましたが、当初の目的を達成することができた研修会となりました。参加者の皆さん、二日間お疲れさまでした。