活動報告・レポート
2020年10月9日(金)
経済警察委員会視察の三日日
熊野那智大社
熊野那智大社

那智勝浦町の熊野那智大社を視察しました。宮司さんが迎えてくれて、世界遺産としての神社と新型コロナウイルス感染症の影響などの意見交換を行いました。

言うまでもなく熊野那智大社は熊野三山のひとつで、全国に約4千社ある熊野神社の総本山を形成しています。それだけに社殿に入ると威厳を感じるほどです。経済警察委員会として正式参拝を行い、県政発展と新型コロナウイルス感染症に打ち勝つことを祈願してきました。

宮司さんからは、同神社の歴史をしっかりと伝えてくれたことに感銘を受けました。日本書紀に基づいた神社の歴史を語ってくれたのです。

神武天皇一行は丹敷浦、現在の那智の浜から上陸した時、海岸から光り輝く一筋の糸のようなものを発見し、それに向かって進んでいくのですが、そこで那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされたそうです。そこで一行は滝の威厳を感じ、神々が宿る地だと確信したことでしょう。

熊野那智大社

一行はこの滝に祈りを捧げ、八咫烏に遭遇、導かれて厳しい山道を登って熊野へと向かうことになります。

この時、八咫烏は一行を熊野に導いた後、那智の滝に戻って来て、次の機会があるまで眠りについたという言い伝えがあるようです。現在、その八咫烏は「天照大神」の神殿の前に石の姿となって眠りについているのです。

この説明を受けた後、神殿の前の八咫烏を示す鳥石を案内していただきました。左側が頭ですが、羽に頭を埋めている姿で、右側が尾の部分になっています。八咫烏は次の時代にわが国を導く人が登場するまでゆったりと休んでいるようにも感じます。

ところで八咫烏の足が三本なのかについて、次のように解説されています。

八咫烏の三本の足はそれぞれ天(天神地祇)、地(自然環境)、人を表しています。これは神と自然と人が同じ太陽から生まれた兄弟であることを示しているそうです。

熊野那智大社の信仰の元になっているのは神武天皇が訪れて以来の那智の滝であり、神宿る滝をお祀りしています。それは今も変わらぬ信仰であり、起源を大切に引き継いでいることが分かるもので、だからこそこの神社は厳格で神々しいのです。

熊野那智大社

また現在の姿になった熊野那智大社の起源は、西暦317年のことだそうです。当時は仁徳天皇の時代で、社殿が現在地に建てられたと聞きました。その時から1700年後の2017年、平成29年から3年をかけて社殿の改装を行っています。台風の影響から大雨と風の中に浮かんだ社殿は朱色に輝き、自然の猛威の中にあっても存在感を発揮していました。熊野信仰は自然信仰ですから、紀伊半島から災いを葬り去ってくれていると思います。

これらの話から、熊野那智大社の起源である神武天皇が仰ぎ見た滝を祀り、仁徳天皇が移転された317年から1700年の節目の年を記念して改装するなど、伝統と歴史を大切にしていることが分かります。

全国に約4千社あると言われている熊野神社は、熊野三山の信仰が広く受け入れられてきたわが国の歴史を感じることができます。神武天皇からの熊野信仰がわが国の信仰の起源だと思いますし、全てを受け入れる、そして融合させて繁栄させる熊野信仰の総本山が和歌山県にあることは誇りです。歴史と伝統はお金ではかれない価値であり、お金を使ったとしても今から作れるものでもないのです。

熊野那智大社

また昭和6年、戦艦長門で昭和天皇が白浜町を訪れた際、戦艦から那智の滝を眺めたと伝えられています。海上からは一筋の滝が見えただけだそうですが、その後、同陛下が那智の滝を訪れた時に句を詠んでいます。遠くから眺めた那智の滝を、ようやく訪れることができた喜びを謳っていると伝えてくれました。それは遠い昔、神武天皇が眺めた滝を自分も今ここで見ることができた気持ちを表しているように感じます。

熊野那智大社と信仰は那智の滝と共にある。人が変わろうと時代が移ろうと、その伝統を護り続けている尊さに敬意を表します。

素晴らしい案内をしていただきました。委員会視察の最終視察地に相応しい場所と案内になったと思います。三日間の行程を終えて帰路につきました。

その他
  • 笑顔クラブでお世話になった方の通夜式に参列させていただきました。たくさんのことでお世話になりました。心からご冥福をお祈りしています。