何事もないような日常の中に喜びが隠れていますが、それに気づかないで日々を通り過ぎていることが多いのです。「今日の嬉しい出来事を誰かに聞いてもらいたかったのです」と言って、こんな話を聞かせていただきました。
「取引先の人がブドウを届けてくれました。そしてリフォームしてもらったのでお礼状をファックスで送りました。『現場作業に来てくれた皆さんはとても親切で、しっかり直してくれたので、これからは安心して暮らせます』と書きました。どちらも些細な出来事ですが、嬉しいことだったので、誰かに話したくなりました。片桐さんにとっては関係のないことで、迷惑な話で申し訳ないです。誰かに聞いてもらいたかったのです」ということです。
小さな出来事を「嬉しい」と感じることは凄いことです。私達は嬉しい一日を望んでいるのですが、なかなかうまくいきません。しかし小さな日常の出来事を見つけようとすれば、喜びを感じ取ることができるのです。一日の終わりに、今日の嫌なことを思い出すよりも、嬉しかったことを思い出す方が良いに決まっています。
嬉しい報告を聞かせてもらったので、同じように僕も嬉しく思っています。
嬉しい出来事を話した人の嬉しさは膨らみますし、話を聞いた人も嬉しい出来事を得たことになります。
二カ月に一度開催されている「ナームの集い」に参加しました。今回は信濃路の西平社長が講師で、一般的な経営論ではなくこれまでの人生に基づいた経営の考え方を中心に話を聞かせてもらいました。思ったことは「人を大事にした経営をしている」こと「生き方が強く経営に反映されている」ことです。そのことがJリーグを目指すサッカーチームの「アルテリーヴォ和歌山」の支援や「紀州よさこい」の実現、そして「職親プロジェクト」への取り組みなど社会貢献につながっていると思います。
人生は「どれだけ人のために役立てたか」「社会や周囲の人のお役に立ったか」で決まると話してくれたように、「人のお役に立てたことが良い人生」ではないかと思います。西平社長は先代社長であり父親の死に接した際、「人生の最後に思うことは何なんだろう」と考え、辿り着いた答えが「人生は人のお役に立つことを行う」ことだそうです。その考え方が経営理念に表れています。
「私はこの仕事を一生の誇りとし、必ずや、社員さん達に心から『この仕事ができて本当に良かった。信濃路に来て、本当に良かった』そう言ってもらえる会社にすることをここに誓います」と、人を大事にする経営の考え方を伝えてくれました。
そして社是は「いっぱいの笑顔にであいたい」ですから、従業員さん、お客さんなど周囲の人を笑顔にする会社を目指していることが分かります。
そして会社に対する思いが180度転換した出来事についても話してくれました。
まだ20歳代の頃、父親が社長だったので、ある日「〇〇店を手伝って欲しい」と言われたので、その店舗に行ったのです。そうしたところ「うどんの出汁がおいしくない」「仕事ではなく作業をやっているようでやる気がない」など「このままではこのお店は潰れてしまう」と感じたそうです。
これではいけないと「このお店を立て直そう」と思ったそうです。この時から信濃路に対しての思いが強くなったようです。数か月後、お店に来てくれたお客さんから「おいしくなったね。以前は不味かったからね」と、本音で声をかけてもらえるようになったそうです。蕎麦屋で働くことを嫌だと思っていた20歳代の時から、経営者として蕎麦屋に誇りを持っている現在に至る話に感動しました。
お坊さんとの会話の中で次のような説明をしてくれました。
「観自在」とは自在に物事を見ることができることの意味ですが、5世紀までは「観世音」と訳されていたそうです。この意味はストレートに解釈すると「音を見ること」のようですが、音を見ることができること、即ち「言わなくても分かっている。お見通し」という意味だそうです。
観音様のような境地に至ることは容易ではありませんが、感じ取る力を大切にすることを心掛けたいと思います。
ご一緒した料理人からも「よい食材は、新鮮なうちに味わって」と呼び掛けているそうです。その声を聞くことができない人が多いのですが、料理人の立場からすると「料理をした直後の美味しい時に食べて欲しい」と思うようです。
会食は話を交わすことも大事なことですが、食を楽しむことも大事なことだということです。心得ておきます。