活動報告・レポート
2020年8月26日(水)
串本古座高校
串本古座高校
串本古座高校

和歌山県立串本古座高校を訪ねました。高校では校長先生に出迎えていただき、学校の取り組みを聞かせてもらいました。この高校の特長は生徒を「全国募集」している公立高校であると言うことです。通常、公立高校は県内の生徒だけが進学できるのですが、ここは全国に生徒募集を行い受け入れています。この地域では人口減少と現役世代が減少していることから、生徒が減少しています。一学年の定員120名のところ、令和2年度に入学した一年生は60名ですから、定員割れの状態になっています。現在の2年生と3年生も定員割れをしているので、このまま生徒減少が続くことを避けなければならない状況です。

ただ串本古座高校は「地域まるごとキャンパス」を打ち出しているように、地元自治体や地元事業所が授業に全面協力をしてくれています。インターンシップの受け入れや体験型学習への協力など、地域に欠かせない高校であることを感じました。

しかも故郷の歴史や文化、産業など学び、故郷に愛着を感じる生徒が多くなっている成果も聞かせてもらいました。学校教育の目標のひとつが故郷への愛着を醸成することだと感じたので、教育方針は素晴らしいと感じました。その結果、地元での就職を希望する生徒があり、若い人が地元に残って支えてくれることにつながっています。

串本古座高校

校長先生は「私が赴任してきた時、故郷に『愛着を感じていない』と答える生徒が多かったのです。『愛着を感じていない』と答えたのは『愛着がないのではなくて、故郷のことを知らないからだ』と思い、故郷の良さを地域の人から学ぶ授業を取り入れました。その結果『愛着を感じる』生徒が増加しています」と話してくれました。

この教育方針は理想です。故郷に愛着を感じるためには、故郷のことを知ることに尽きます。そんな教育を実践してくれていることを嬉しく思います。訪問して話を聞いて、将来とも存続して欲しい高校だと思いました。

しかし全国募集をしていますが、こちらの成果に関しては「来てくれる生徒が少ない」と思いました。参考までに、令和2年度は2名、令和元年度は2名、平成30年度は4名が全国募集で来てくれている実績があります。高校再編が検討されていますから、特色ある教育を実践しているこの高校に、全国からもっと多くの生徒に来てもらう広報を考えたいところです。

やはり現場に来て分かることがありました。現場に答えがあり、これからを考えるきっかけになります。和歌山市から遠いところにある高校ですが、教育方針、現場の実情などが分かったので、訪ねて良かったと感じています。

潮御崎神社

串本町にある潮御崎神社を訪ねました。この神社は「わかやま記紀の旅」で取り上げられているもので、取り上げられている由来は次の通りです。出典は「わかやま記紀の旅」パンフレットです。

潮御崎神社

本州最南端・潮岬にある潮岬灯台のほど近くに鎮座している当社は、ご祭神として少彦名命を祀っている。少彦名命が国造りを終えて、熊野の岬から常世の国へと渡って行ったと『古事記』に記されているが、この熊野の岬が潮岬ではないかという説がある。

また、『日本書紀』に記されている物語では、仁徳天皇の皇后である磐之媛命が紀伊国を遊行され、到達された熊野岬も同様に潮岬であるとの伝承がある。この地で皇后が宮中での宴のために持ち帰られようとした『御綱柏』は、周辺に群生するマルバチシャの木であると言い伝えられている。

という解説があります。

境内には「御綱柏」がありましたし、「少彦名命」の名前も記されていました。記紀に書かれている現場を訪ねることに意味があると思います。わが国の歴史を記す書物に書かれていることであり、これが正史として残されています。正史に記されている場所に、それを証明するように神社が建立され、御神体として祭られている実態がありますから、その場所に立つことで歴史を感じることができるのです。何もないところで歴史を感じることはありませんから、やはり歴史として記された場所が存在しており、訪れることができる和歌山県の歴史を大切にしたいのです。

しかも和歌山県として権威ある方に監修してもらって「わかやま記紀の旅」として発刊しているものですから、「記紀の旅」を基に多くの人に訪れてもらいたい神社だと思います。

高塚の森

潮御崎神社を出て道路を隔てた北側に「高塚の森」があります。この森は国有地であり、神武天皇が上陸した時、ここに「鎮座したのではないか」と伝えられている場所です。正史では串本沖を海路で那智勝浦に入ったとされていますが、「潮岬沖は潮流が速いため、当時の船で進むことは困難だった」という仮説に基づいた言い伝えです。

道路から「高塚の森」に入り、森の中を北に進むこと約100メートル。神武天皇が座したという説のある岩が、周囲より一段高いところにありました。

大きな岩に登ってみると、東に太陽を見ることができる位置にありました。「ここに鎮座して元気を取り戻した」という気持ちが分かるような気がしました。南に潮岬、東に太陽。これから熊野に入ろうとする地点だったようにも感じます。新たな史料が発見されない限り正史にはなり得ないので限りなく不可能なことですが、歴史のロマンを感じられる場所なのは事実です。

高塚の森

これも「わかやま記紀の旅」を契機として、この場所を訪ねたお陰だと思います。一冊のパンフレットが人を動かせて、訪れた現地で歴史を感じさせてくれるのです。この観光行政は凄いことだと思います。もちろん神社には、この「わかやま記紀の旅」のパンフレットが置かれていることは言うまでもありません。