活動報告・レポート
2020年8月23日(日)
陸奥家法要
陸奥家法要
無量光院

「陸奥宗光の功績を教育に活かす実行委員会」のメンバーによって、法要のため高野山を訪れました。今年は陸奥宗光伯没後123回忌、陸奥亮子夫人没後120年など陸奥家の法要のため無量光院を訪ねたものです。伯の法要のため無量光院を訪ねるのは二度目ですが、その功績を称え引き継ぐことを祈念してきました。

住職さんからは「本日、陸奥宗光さんの法要を執り行わせていただきました。長時間、ありがとうございました。没後123回忌ということで、故郷の偉人、江戸から明治を生きた陸奥さんの法要ができたことを嬉しく思います。ご存知のように陸奥宗光さんの遺骨が当院にありますが、実は何故ここにあるのかは分かっていません。恐らく伊達家が紀州藩出身であることからご縁をいただいているのかも知れません。何か資料があればいただきたいと思っています。毎日、朝の6時から唱えさせてもらっていますので安心して下さい」と話をいただきました。

陸奥宗光伯

振り返ると無量光院で法要をするのは3年前に続いて2度目のことになります。ここには戦国武将の織田信長氏や丹羽長秀氏の遺骨もあり、由緒ある寺院として知られていますが、ここに陸奥宗光伯の遺骨がある経緯ははっきりと分かっていないようです。

いずれにしても遺骨は明治32年に高野山に分骨されているようなので、陸奥伯の一部は故郷に帰って来ているということです。故郷の偉人の功績と志を引き継ぐことが故郷の人間として必要なことだと思っています。

住職さんからも「故郷の偉人の功績を次の世代に引き継いでもらいたいと思います」と話してくれたように、その功績と志を途絶えさせてはいけないのです。誰かが引き継ぐことになりますが、現在はわが実行委員会が引き継いでいるので誇らしく思っています。

陸奥宗光の功績を教育に活かす実行委員会

そして住職さんに挨拶をしたところ「片桐さんのホームページに無量光院のことを書いてくれていました。立派に書いてくれているので有り難く思います。ありがとうございます」と伝えてくれました。まさか住職さんが見てくれていると思わなかったので、驚くと共に故郷のことを伝えられていることを嬉しく思いました。

さて実行委員会として、今秋からの学習会開催に向けてスタートを切る準備を整えています。10月の学習会の案内は完成して配布済みで、続いて串本町、那智勝浦町、白浜町、田辺市の学習会の案内も届ける予定です。

陸奥宗光の功績を教育に活かす実行委員会

そしてお墓がある奥の院を訪ねました。陸奥宗光伯のお墓は奥の院の手前左側、その奥には公募がある位置にありますが、この場所にお墓があるのは、その功績が称えられてのことだと思います。残念ながらお墓のある場所は、写真撮影禁止のエリアにあるため撮影できませんでしたが、高野薪をお供えして功績に感謝してきました。

一日を高野山で過ごしましたが、訪れている人は少なくて新型コロナウイルスの影響が出ていることを感じました。中でも外国人の姿はなく静寂の高野山を歩くことになりました。地元の方に尋ねたところ「外国人のお客さんが来るようになる前の高野山の光景のようです。子どもの頃の高野山はこんな感じでしたね」と話してくれました。高野山は賑わっていても良い光景ですし、訪れる人が少なくても良い場所です。ここは日本の聖地であり、他にはない宗教都市だからです。和歌山県に高野山があることを誇りに感じられる日となりました。

高野山

ところで無量光院で法要している時、大雨が降り始めました。それまで晴天でしたが空が急変したのは、心も場の空気も清めてくれているように感じました。法要を終えた後に雨が止んだので不思議な感覚になりました。確かに、法要の最中、今は何時の時代なのか不思議な感覚があり、弘法大師が私達の精神を聖なる場所に招いてくれているようにも感じました。

突然の大雨は、弘法大師が私達の行いを見てくれているように感じました。