元学校の教師の方が「今の自分を育ててくれたのは厳しさと思いやりを持った上司に鍛えられたからです」という話を聞かせてくれました。この方は校長先生まで務めた方ですが、若い頃、厳しい上司に仕えたことがあり、その時の教えが教師生活に役立ったということです。
一つの例として、ある時の議会答弁について教育長が質問に対して「富士山の八合目まで来ています。後、二合のところまで来ていると認識しています」と答えたそうです。ところが質問者は「では残りの二合を登るためにはどうすれば良いのか」と再質問をしたのです。
再質問への答弁は「これまでも学校関係者、保護者の皆様、県民の皆様のご協力を得てきましたことに感謝しています。しかし残りの二合を登りきるためには、八合目まで登った二倍の努力が必要だと考えています。これまでご協力をいただいてきた皆様の二倍の取り組みをしていただき、登り切りたいと考えています」というものでした。質問者は「これまでの二倍の取り組みをすることですね」と納得して質問を終えたようです。
教育長とこの質問について議論を交わしたその時の担当者は「この答弁を聞いて納得しました」と答えたそうです。教育長は「もし君だったとしたら、どう答弁したと思う」と尋ねられたので「僕は二倍の努力という内容の答弁は思い付きもしませんでした。『全員で取り組みたいと思います』程度の答弁しか思いつきませんでした」と答えたそうです。
公式な答弁を基に議論を交わすことは若い担当者の勉強になります。これらの直接の指導が担当者にとって勉強になりますから、厳しい指導であっても勉強になると思い、考え方を吸収しようと取り組んだそうです。
これはほんの一つの事例ですが、生きた指導を受けたことから校長になった時は、経験を生かして今度は若い教師の指導を使命と考えたそうです。先輩方から聞かせてもらう経験談は学びになります。
来庁してくれた経営者の方が「最近の若い人は問題処理能力がないと思います」と話してくれたのです。「かつては苦情を受けた場合、まず自分で問題解決の方法を考えて相手と話し合ったものです。しかし最近は、自分で考えることなく、即座に上司にどうしたら良いか相談してきます。まずは自分で考えなければ力はつきません。最近、採用した人は問題対応能力に乏しいと思いますから、克服すべき課題だと考えています。そのためには教育以外にないと思います。会社で指導していますが、社会人としての基礎がないと実践を踏んでも見に付かないのです。だから教育が大事だと思いますし、社会人になるための実践教育をする機関が必要だと思います」というものでした。何となく理解できる話です。
会社で働くためには人間形成を図るための教育が必要で、それは教養でもあり、スキルでもあるように、生きるために必要な技術なのです。「和歌山県はそんな教育を実践してくれて、人材を輩出できる県になって欲しい。人間形成ができていれば、どんな会社でも受けてくれます」と意見を聞かせてもらいました。
また「良い教育をしていれば、その学校は地域の人も社会も認めてくれます。例えば、朝、通学途中の生徒が地域の人に『おはようございます』と挨拶をするようになったとします。これまでは挨拶もできなかった生徒が挨拶をするようになっただけで、地域の人は『この学校はしっかりと生徒に教育をしてくれている』と思ってもらえます。それだけで良い学校だと地域から認められるのです。地域の人に対して、丁寧に挨拶ができる生徒がいるだけで、地域ではその学校の存在が誇りになるのです」
このような熱意のこもった話を聞かせていただき、如何に教育が大切なのか改めて認識することができました。生きる力を見に付けることが教育ですから、学校によって形は違いますが、それを目指した教育を実践して欲しいと思います。社会で生き抜いている経営者が欲しい人材を育てることが教育だと思います。
- 早くも来年度の研修計画について打ち合わせを行いました。現在、集まっての研修会や会議ができていない状況なので予定している計画に遅れがでています。年内の実施は難しいことも考えて、来年に延長させる計画も発生しています。計画の見通しが立たない中、可能な方法を協議しています。
- 他にも本年度に計画していた研修会も実施の見通しが立たなくなっています。そのため少人数の講義形式の勉強会に形を変えて研鑽を高めることに変更することを話し合いました。計画変更が多くなっているので、あり方や日程の調整が大変です。