白浜町にある太刀ヶ谷神社と本宮を訪れました。この神社の歴史は神武天皇の東征に由来しています。和歌山県に入った神武天皇一行は、和歌山市から海で紀伊半島を南下していきます。田辺湾辺りで台風に遭遇したことから湾内に避難したのです。この湾のことを地元では「綱いらず湾」と呼ばれているそうで、台風で波が高い時でもここは数センチ海面が上昇する程度の穏やかな湾だと話してくれました。一行は天皇が回復するのを待つためにこの湾に入り、三日間滞在したと伝えられています。この間、地元で歓迎を受けた後、熊野に向けて出立するのですが、その時の神武天皇の太刀が御神体として祀られたことから、太刀ヶ谷神社と命名されています。
出立の日は旧暦の8月1日、現在の9月1日なので、今もこの日はお祭りを行っています。お祭りには派手さはなく独特で、「おしとぎさん」と言われる五穀豊穣を願う儀式を行っているそうです。獅子舞や踊りがなく五穀豊穣を願う質素なお祭りになっているのは理由があります。
それは神武天皇が出立することの武運を願ってのことですから、熊野に攻め入るという情報が洩れてはいけません。きっと当時の村人たちは、静かに出立を見送ったことだと思います。そのためこの神社のお祭りは、質素なものとして継承されているようです。
訪れた太刀ヶ谷神社は緑の中に位置しており、厳かな佇まいをしていました。小雨が降っていたことも有り、地面は濡れて苔が光ってみえるほどでした。小さいけれども威厳を感じることができました。
国を創った人物がこの地を訪れ、ここに神社が建立され今につながっている歴史が和歌山県、白浜町にあることに畏怖の念を感じるほどでした。鳥居をくぐってからの空間は、空気が圧縮されているようで、このスクエアの中の空気は「外に漏れていないのではないだろうか」と感じるほど新鮮で、包み込んでくれるような感覚がありました。「小さくて目立たないけれど、ここも聖地」だと感じるのに十分な空気がありました。
ここに来て分かったことは、和歌山県内でも知られていない理由は、武運を祷り無事を祈った出立の心を表現した「質素」だということです。元々五穀豊穣を願い、争いのない豊かな国を築こうとして国づくりのため大和を目指したのですから、派手なことを望んでいないのです。その精神を長く持ち続け、継承してきたことを、地元の話を聞いて理解できました。
和歌山県発行の「日本書紀編纂1300年記念」スタンプラリー冊子にも記載されていませんし、話を聞くまで知らない人がほとんどの神社です。この神社らしいと思いますが、和歌山県の歴史を彩る物語と歴史がありますから、もう少しは知ってもらいたいと思いました。
その後、本宮にも案内してもらいました。この本宮は明治時代まで太刀ヶ谷神社があった場所のことです。本宮の前には、当時の街道が通じていたので人通りが多くなり、「多くの人が通る道に太刀を祀っていることは、どうだろうか」という議論があったそうです。特に死人を葬るためにこの道を通ったので「死人の前の太刀」は縁起が良くないとなり、移築することを決めたそうです。移築先が現在の太刀ヶ谷神社で、ここは本宮として祀られています。ただ今は街道もなく人が通ることもないので、本宮の存在も地元の人以外には知られていないのです。
今日、地元に無理を言って二つの地を案内してもらいました。和歌山県の持つ隠された歴史に触れられた一日となりました。「この地区も人が少なくなり、高齢化していることから祭りの開催も厳しくなっています。神社を護る人も少なくなってきました」という話も聞かせてくれました。今でもこの物語は伝えられることが少ないため、これから将来、途絶えてしまわないかが心配です。語り継ぐことが物語を綴ることであり、途絶えてしまうと復活させることは簡単なことではなくなります。そんなことも考えながら、故郷の歴史を護りたいと思います。
白浜町を訪れた後、第二ICTオフィスを案内してもらいました。名称の通り、白浜町で二番目に設置したオフィスです。現在は三番目のオフィス開設に向けて準備を進めていますが、ここも事務室が埋まっている状況にあります。
新型コロナウイルス感染症対策としてリモートワークやワーケーションへの移行も、企業では検討されていると思いますが、白浜町は企業を受け入れる環境を整えています。羽田空港から白浜空港までは1時間、空港からこれらのオフィスまでは10分程度の距離にあるように、オフィスの環境は整えています。
主に首都圏の企業を受け入れるための環境整備を行っているので、第四、第五のオフィスの設置も含めて今後も充実を図ることを考えています。
和歌浦芸術区でドキュメンタリー映像が上映されました。上映作品は、和歌山市にあるレストラン&カフェ「デサフィナード」の木下オーナーの闘いの記録である「JASRAC VS Desafinado」です。木下さんの5年半に 及ぶJASRACとの裁判の記録であり、戦いの記録でもありました。
木下さんを支えたのは不条理に立ち向かう気持ちであり、この国の人間を信じる気持ち、そして将来、音楽に携わる仕事をする人のために立ち向かう気持ちだったと思います。
巨大組織を相手に一矢を報いたオーナーの気持ちが伝わってくる映像と話でした。木下さんの行動を多くの人が応援してきました。そしてドキュメンタリーに編集してくれていたことで、その行動を知ることができました。