活動報告・レポート
2020年7月11日(土)
歴史の会話
歴史の会話

和歌山県白浜町にある太刀ヶ谷神社のご神体は神武天皇の所有していた太刀だそうです。これは神武天皇東征の時に、台風のためこの地に上陸し数日滞在し、台風を収めるために太刀を海に投げ入れて沈めたそうです。神武天皇が立ち去った後、村人はこの太刀を海から拾い上げ、ご神体としてこの神社に祀ったという地元で伝わる話です。

この話を聞いたので、太刀ヶ谷神社の存在を知ったのですが、この神社のことを知っている和歌山県民は地元を除くと少数だと思います。しかし和歌山県の歴史の一つであり、物語として語れる観光資源になり得るものだと思っています。

今週、奈良県にある光明皇后陵について話を交わす機会がありました。光明皇后についての解説は次の通りです。

光明皇后は聖武天皇の皇后、藤原不比等の娘です。歴史上では「文化人」「社会福祉の創始者」として知られる人物であり、文化人としては「能書家」として数多くの美麗な作品を残したほか、和歌なども複数残されています。

また聖武天皇と同様、もしくはそれ以上に仏教に深く帰依したことでも知られており、興福寺や法華寺、東大寺などの創建を天皇に勧めて実現させるなど、仏教の広布に力を尽くした。また貧しい人を救うための施設である「悲田院」や医療を施す「施薬院」などを建立したことも有名なエピソードです。

という風です。

奈良県の方は日本書紀編纂1300年に関連して皇后のこのエピソードを語ってくれたので、僕からは白浜町にある太刀ヶ谷神社の話をしました。先に記したように、太刀ヶ谷神社については今月知ったばかりですが、これも日本書紀編纂1300年の話をしている中で聞いたものでした。和歌山県は神武天皇東征の歴史の道があり、大和の国へと至る歴史に大きく関係しているので、そこの神社の話を伝えたのです。

当然、奈良県の方は、太刀ヶ谷神社とその逸話についてご存知ありませんでした。少し解説をしたのですが「そんな神社があるなら行ってみたい」という感想を聞かせてくれるなど、歴史が奈良県と和歌山県をつないでくれたように感じました。

僕が太刀ヶ谷神社を知らなかったとしたら、この話はなかったことになりますから、歴史と観光交流にはつながらなかったと思います。知ることは意味がある。故郷の歴史を知ることも意味があるものです。

光明皇后陵と太刀ヶ谷神社。歴史上は関連のないものですが、わが国の歴史の話を交わす中で話題として出てきたもので、この先一人でも関心を持ち太刀ヶ谷神社へ観光に訪れてくれるなら、意味のあるものだと思います。

和歌山県の「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす実行委員会」では故郷の偉人の功績を学び、伝えようと活動しているところですが、自分達が学び、人に話すことで確実に偉人の功績は伝わりますし、その話に興味を持ってくれた人は行動に移すことになります。

今回のような個人の対話は小さな行いですが、興味を持ってもらえることは後々につながるとても大事なことだと感じています。

ところで光明皇后陵のことは、和歌山県では余り知られていないと思います。今回、話を聞いたこともあり、その場所を訪れたいと思います。