活動報告・レポート
2020年6月30日(火)
太刀ヶ谷神社
太刀ヶ谷神社

白浜町にある太刀ヶ谷神社の由来について紹介します。これは和歌山県が発行した「わかやま記紀の旅」を手交したところ、このパンフレットに太刀ヶ谷神社が記載されていなかったことで、神武天皇に縁があること、日本書紀にもその由来が掲載されていることを教えてもらったことで知りえたことです。

神武天皇一行が和歌山市での名草戸畔との戦いを終えて、和歌山市から御坊市を経て田辺湾に入りました。田辺湾に入ったのは台風の影響で海が荒れていたからだそうです。田辺湾は台風の時でも波が穏やかで、串本町からも船を避難させてくるほどの安全な湾だと教えてくれました。

田辺湾から上陸した神武天皇一行は地元の人たちに歓迎を受け、しばらく滞在したようです。

しかしなかなか台風による波風が治まらないので、苛立った神武天皇は自らの太刀を海に投げ込んだそうです。そうしたところ波は収まり一行は出立することができたのです。

海路、一行は熊野地域に向かうことになりますが、その時、地元の人達はその太刀をもらい受けたので、その太刀を大切に扱い御神体としてお祀りしたのです。太刀をご神体としたことから太刀ヶ谷神社と命名され、現在に至っているそうです。鉄製の太刀ですから、今では現存していませんが、日本書紀の話から神武天皇に縁のある話を聞かせてくれました。

また神武天皇一行がこの地を出発したのが8月1日(旧暦)であったことから、9月1日には「太刀ヶ谷の字(あざ)祭り」を行っていたそうです。この祭りは神武天皇一行の出発をお祝いすることが由来なので、敵に知られてはいけないことから賑やかなものではなく、ひっそりとお祝いする「お食い行事」だったそうです。

但し、近年、この地域には若い人が少なくなり、祭りの担い手が不足していることから運営は難しい状況にあることも伝えてくれました。

このように「わかやま記紀の旅」のパンフレットができたことから、神武天皇に縁のある神社の話を聞くことができました。ここに掲載されていなくても、日本書紀の話の中に太刀ヶ谷神社のことが記載されていることと、地元ではこのエピソードが知られていることから、その由来を聞くことができたのです。

この「わかやま記紀の旅」がきっかけとなり、太刀ヶ谷神社に立ち寄る人が出てくるなら、ひとつ観光地が増えることになります。何かの取り組みをすると、それに関する新たな情報が得られるものです。観光行政面からは、地域にある観光資源を発見することになります。例え地元では珍しいものではなかったとしても、地元以外の人にとっては観光資源になるものもあります。

歴史が好きな人や日本書紀編纂1300年を記念として縁の地を巡っている人にとっては、何としても行きたい神社になるかもしれません。和歌山県民であっても知らない神武天皇に関わる話があることを知り、これらの逸話を物語としてしっかりと伝えていきたいと思いました。

白浜町に立ち寄った時には「わかやま記紀の旅」にある場所と共に、太刀ヶ谷神社を訪ねたいと思います。

お礼
  • 本日、定年退職を迎えた方の職場を訪ねて、これまでのお礼の言葉を伝えてきました。僕の活動は多くの人に支えられていますが、この方は「片桐さんからの依頼にNOの答えはないので、できるよう考えています」と話して、どんな問題にも対応してくれました。こんな言葉で対応してくれていることに感謝しながら、その言葉に甘えていくつかのお願いをしてきました。
    お陰様で依頼した案件を、無理を承知で受けてくれたことや、時間を短縮してくれるなどの対応をしてくれたのです。感謝の言葉では足りないのですが、お礼の言葉を伝えました。
  • また金融の関係でお世話になった方も退職の日を迎えました。残念ながら直接お会いして言葉を伝える機会はなかったのですが、電話でお礼の言葉を伝えました。いつものように丁寧な言葉づかいで言葉を交わしました。僕の方が一方的にお世話になったのですが、丁寧な言葉で応えてくれました。ご縁は続きますので、引き続いてのおつきあいをお願いしました。