風吹山弁財天でご縁をいただいた冨士さんは、紀の川市桃山町で家屋を建設しています。今から20年ぐらい前から建設に着手しているもので、現在も建設中となっています。5月26日に冨士さんからこの建物の話を聞かせてもらったところ「来週の日曜日も桃山町に行きます。一度見学に来ませんか」とお誘いを受けたので、本日、訪問したものです。
辿り着くのは思っていた以上に遠くて、迷いながら着くことができましたが、印象としてはテレビ番組の「ポツンと一軒家」のような感じで、狭い道路、迷い道、そして手作りの家屋と、キャンプに行くような感じがしました。
家屋内を案内してもらったところ、手作りとは思えない建物で驚きました。完成時期を尋ねたところ「分かりませんね(笑)。まぁ趣味みたいなものなので、ゆっくりとやっています」ということでした。
山の中ですから空気が新鮮で、鳥のさえずりが聴こえてきます。空気が澄んでいることから夏には蛍が飛んでくるようですし、恐らく夜空も星も近くで輝いているように思います。
そして神聖さを感じるのは、敷地内には弁財天様と観音様が建立され、この場所の守り神のように存在しているのです。弁財天は元々インドの神様ですが、わが国では琵琶を演奏している女性像が代表的な姿となり、七福神の一人として祀られていると聞きました。深い自然の中に弁財天が祀られ、その場所に手作りの家屋が建設中という不思議な空間を楽しみました。
そして将来、この建物は護摩供養の修行をする場所として活用の他、経済的に困っていて暮らすための家屋を必要とする人にお貸しすることも考えているようです。案内をしてもらった後、「せっかく来てもらったんだから、お好み焼きでも食べていってください」と言って、これも手作りのキッチンでお好み焼きを焼いてくれました。キャベツと山芋、卵を使い、そしてパイナップルをトッピングしたお好み焼きをいただきました。パイナップルお好み焼きは初めてでしたが、美味しくいただきました。
ゆっくりと流れる不思議な時間を過ごすことができました。
自分が発信した記事、ニュースなどに反応があると「やりがいを感じます」が、多くの場合は反応がないので「読んでくれているのだろうか」「私が発信したニュースに価値はあるのだろうか」など自分を見失うことがあることを聞きました。
有名人は別として、多くの場合、レポートや出来事などの記事を書いて発信しても、なかなか反応してくれることはありません。話を聞かせてもらったように「果たして読んでくれているのだろうか」という気持ちになるのは当然だと思います。
ただ少しでも誤りがあると不思議なことに「反応がある」のです。しかも批判的な反応なので、「良いことは伝わらないけれど、悪いことは伝わる」ことが分かります。誉め言葉は誉め言葉を招き、批判の言葉は批判の言葉を呼び寄せますから、誉め言葉が連動していくことを期待するのですが、それはなかなか連動していきません。本当は、良い出来事や心が温まる出来事が伝わっていけば社会もその方向に向かうのでしょうが、実際は良い記事は人から人へと伝わらないものです。
ただ伝え方にも問題点があり、それは「批判を避ける観点から客観的な書き方、伝え方になっている。確実に実態を抑えて丁寧な説明をしてから記事を出す」ことが多いので、どうしても読み手が面白くないので反応が乏しくなってしまうのです。
主観を挿入すると考え方が違う人から批判が来ますから、どうしても客観的な書き方になってしまうのです。訴える力は主観であり具体的な事実と事実に込められた思いを述べることです。 客観的で抽象的な記述だけでは訴える力が弱く、読んでも面白くないのです。
批判されずに反応があるような訴え方は、とても難しいと思います。それでも意見を発信していくことが大事なのは、社会に民意を反映する機会になるからです。極力、批判ではなく高め合える意見を交わしたいものです。