「いつの時代においても、その時の社会が文化を創り出し、文化が人の心に影響を与えています」
と話してくれました。なるほどと思います。
もし現代人である私達の心が貧しいのだとすれば文化が貧しいのであり、その背景にある社会も貧しいのです。社会が貧しいというのは経済的に貧しいというのではなくて、例えばお金が現代の価値を支配している、言い換えればお金が価値を決めているという単一的な価値観が貧しいということです。
お金が価値だとすれば、お金を持たない者が貧しいと社会から判断されますから、持っている人も持っていない人も、その心は貧しくなるのです。何故なら、価値判断の基準はお金だからです。豊かさの価値が多様化している社会であれば、お金があることも豊かさであり、お金を持てなくても好きな仕事をして生活をしていることも価値になると思います。
お金が最優先される価値なので自分第一主義の考えに傾斜していきます。自分ファーストとも呼べる価値は、他人への思いやりを失わせます。「自分さえ」の考え方が現代社会の特徴だと思いますが、それが現代を象徴する文化となり、人の心をそうしているのです。
社会を思いやりのあるものにすることが、人の心を思いやりのあるものにします。一人ひとりが思いやりのある人になるには、社会がその方向に向かわなければなりません。新型コロナウイルスが社会の価値が変わる転換期になり得ると思います。
僕も所属している団体では、郷土の偉人の功績を教育に活かすために、陸奥宗光伯の功績を基に「生きる」ことをテーマに活動することにしています。まさに社会の価値を考え直そうとしているのです。史料や伝記を読んで思うのは、幕末から明治時代にかけて他人を思いやる、社会に役立つ人になる、そして国のために仕事をする人物を多く輩出していたように感じます。それは社会がそんな人物を求め、時代に送り出したからでもあると思います。社会が文化を創り出し、人物を輩出する。そんな歴史の図式があるように思うのです。
現在、困っている事業者の方々を助けるために支援策を講じています。極端な自由主義であれば支援策は必要ないと考えるのでしょうが、頑張っているけれど自分一人ではどうしようもない社会状況なので、こんな時に困っている人を助けることは助け合う社会だと思います。「良い時(儲けている時など)は良い思いをして、困っている時に助けを求めるなんて」と言う人がいますが、今は社会が危機に直面している時です。そんな個人レベルの小さなことを言っている状況ではありません。
みんなが今の状況を乗り越えて、乗り越えたみんなで社会を築くことが、この状況下の価値だと思います。助けられるのに助けない社会であってはならないと思うのです。
今日も相談を受けました。「自粛要請を受けて閉店していますが、もう持ち堪えられなくなってきました。開店を楽しみに待ってくれているお客さんのためにも乗り越えたいので、何とかなりませんか」という依頼がひとつ。もう一人が「2月から4月まで3カ月間、収入がゼロになっています。この期間の式典やイベントが中止になったことから仕事ができなくなっています。もうこれ以上は無理なので助けて欲しいのです」という依頼です。この方の職種は伏せますが、人はお互いに協力しながら仕事が成り立っていることが分かる事例です。
これらの依頼に対して、例えば「確定申告をしていない」ことや「昨年の収入を証明するものがない」などの理由から「支援策の適用外だから無理です」と答えることはできません。
「支援を受けるためにできることはないか」考えて対応するようにしています。結果を約束するものではありませんが、その方の状況において支援が受けられるよう、できる限りのお手伝いをしています。
こうした小さな取り組みも、社会の価値を変えていくひとつになっていると思います。
- 飲食業界を応援するための打ち合わせを行いました。新型コロナウイルスの自粛要請解除になった時に備えて、できることを考えようとしています。
- 和歌山県社会福祉協議会で、現在の状況を鑑みてできる社会貢献の挨拶を行いました。有志の皆さんが作成してくれた手作りマスクを届けました。