竈山神社で雄誥祭が実施されました。言うまでもなく、同神社は神武天皇の長兄である彦五瀬命が祀られています。これは神武天皇の東征の際、孔舎衛坂(くさえざか)で長髄彦の軍との戦いで流矢にあたって負傷した長兄は、その後、和歌山市の雄湊で崩御され、竈山で葬られたとされています。そのため竈山神社の本殿の背後には、彦五瀬命の墓と伝える宮内庁が所管している竈山墓があります。
彦五瀬命の命日が5月8日であることから、この日は雄誥祭が行われています。この名称の由来は、流矢で負傷した彦五瀬命がその痛みのあまり雄々しく叫んだことからともいわれています。ただ雄誥祭といわれる前は、血沼祭といわれていたそうです。血沼祭の由来も彦五瀬命が負傷したことから来ていると聞きました。
言い伝えの中には、流矢で負傷した彦五瀬命が紀伊水道で傷を洗っていると鯛が毒を吸ってくれたので、その鯛は赤色から黒色に変化したというものがあります。黒色の鯛のことをチヌと言いますが、それは血沼から来ているという話も聞かせてもらいました。
そしてよく知られている話が、彦五瀬命が言った「日の神の御子である自分たちが、日に向かって攻めるのはよくない」と言って戦の場から南の方角、つまり和歌山県に向かったということです。そしてこの時の傷が原因で、和歌山市で命を落とすことになります。
いずれにしても竈山神社で最も大切な式典の一つが雄誥祭なのです。宮司さんと心を合わせて御祷りを捧げました。
また神武天皇の次男の稲氷命(いないのみこと)と三男の御毛沼命(みけぬのみこと)も暴風で荒れた熊野灘で「自分の先祖は天の神で、母親は海の神なのに、どうして陸で苦しめられ、さらに海で苦しめられるのか」と嘆き、剣を抜いて海に入り亡くなったと聞きました。
二人の兄が海を沈めてくれたお陰で一行は紀伊半島を南下して熊野から大和に入ることができたという話です。三人の兄達の犠牲の下で、この国が建国された話を聞かせてもらいました。国を創るとは命を懸けたものだと神話は教えてくれています。
また紀伊水道に流れ込む吉野川に代表されるように、紀伊半島と四国は一対の地形であり文化を育んできています。かつては海路であり、海は陸地を隔てるものではなく人や物が行き交うために大事な交流の路だったのです。
雄誥祭で宮司さんはこのような話を伝えてくれました。そして「物語には神話と現実がありますが、このような話はグラデーションがかかっている部分の話です。つまり神話と現実をつなぐ話であり、神話として記されていることが現実に起きたことを示していると思います」と話してくれました。小説でも映画でも何もないところから物語は生まれないと思います。何か出来事があり、それが着想となり物語が誕生します。元があるからその流れの延長線上に今がある。歴史は断絶することなくつながっています。
式典の後、彦五瀬命の御陵を案内してもらいました。ここは宮内庁の管轄で立ち入ることはできません。御陵の手前でお祈りし、ここでも平安を願いました。国の始まりの地ともいえる竈山神社で彦五瀬命の命日にお祀りできることは有り難いことだと思います。
そして新型コロナウイルスに関しての話もしてくれましたが、このパンデミックは「新しい社会が誕生するため」に起きていると思うことで現実を切り拓くことができると思います。現在と未来をつなぐために、今生きている私達が現実を打開することが求められています。今、何も行動を起こさなければ物語にはならないのです。歴史ある式典に参加して、歴史から学ぶことがあります。
- 令和2年5月臨時議会の議案を確認しました。来週5月11日、月曜日。一日の会期で審議を行う予定です。
- 起業を目指している若い人と将来の和歌山市で必要となる仕事について協議を行い、関係者に企画書に基づいて事業説明を行いました。