尊敬する経営者と懇談の時間をいただきました。数人の方も一緒だったのですが、当然のことですが、全員がマスク着用と入室時には消毒、そして座席は一つ飛ばしの配席にしているなど、健康管理と危機意識が高いことが分かるものでした。この中で現状と今後の見通しなどの話もする時間がありました。
新型コロナウイルスとの闘いは長期間になることは誰もが理解しているところです。これまでのウイルスとの闘いの経験を持って挑むことになりますが、最終は、風邪と同じ程度にまで持っていき、ウイルスと共存できる環境にすることだと思います。ウイルスも進化しますから、短時間で完全に途絶えさせることは難しいと思います。人はこの環境に適合することを目指した闘いになるのでこの期間は1年ぐらいになると思います。
同時に経済の問題が大きなものになっています。非常事態宣言が発せられると経済活動は止まりますから、企業活動も止まってしまいます。生産工場が停止しますから、働くことができなくなります。
わが国の場合、大企業の生産が止まると中小企業へ大きな影響がありますから、失業が増えることになります。現在の社会のしくみが崩れる恐れがあるので、あらゆる企業、そこには大企業も支える政策が必要となります。企業によって異なりますが、恐らく大企業の内部留保は半減すると思います。
そうなると事業活動に支障が及びますから、金融支援が必要となります。大企業を支援しなければ、わが国の経済は回復の見込みが無くなりますから、そのことを見通して政策を考える必要があります。
現在、大企業が銀行から融資を受けているのは、それらの事態に備えてのことです。社会的責任として、企業活動を停滞させることはできないのです。
経済活動は40パーセントぐらい落ち込むことを覚悟することも考えられます。これはずっと以前、当たり前の日常生活をしていた時代に戻すことだと思います。昭和の時代と全く同じ生活に戻るという意味ではなくて、戦後、何もないところから発展させてきた日本の原点に戻るということです。
第二次世界大戦で敗戦した直後の光景を見た人は少なくなっていると思いますが、その時と同じような場所から立ち直るための生活を覚悟すること。それが助け合う社会につながることです。私達がこの環境を克服し、その時の状況、つまり経済指標が落ち込み、失業率が増加した時の社会を経験した時、自分の役割を果たすことが必要です。
「あの人は何をしてくれない」だとか「自分はやっているのに、あの人はやっていない」など思う、言うのではなくて、それぞれ社会での役割は違うので、人の批判を言うのではなく、自分がやるべきことをするのです。実はそれぞれの人は間接的であっても役割を果たしているのです。
地域社会としては、助け合える社会に移行させる必要があります。助け合って共存できる関係は日本社会が持っていたものですが、最近、その価値は軽いものになっている感覚があります。
助け合える関係の社会になるような政策を検討すべきですし、個人の意識も助け合うことに価値を求める必要があります。人を批判する社会であれば、経済活動の回復は簡単ではありません。
そして助け合う社会の実現、立場が違っても共存できる関係の社会になることが、このウイルスとの闘いの勝利だと思います。ウイルスを消し去ったけれど、助け合う社会への変貌を遂げていなければ、同じような脅威に晒される社会であり続けます。この環境を、生活を見直す機会だと捉えて人も社会も変貌を遂げたいものです。
助け合う社会、人のことを思いやれる社会、日常生活に感謝できる社会。そんな社会につながることを目指した政策であるべきです。和歌山県という小さい社会ですが、この価値を発信したいと思います。