今日も、新型コロナウイルスに関する問い合わせや相談をいただいています。予防を心掛けている人が増えていますし、日常行動にも注意を払ってくれている人も増えていると感じています。
本日、お会いした皆さんからの主な意見です。
- 外出を控えるように心がけています。一人の行動が他の人に迷惑をかけてはならないので、極力、外出をしないようにしています。人に迷惑をかけることにならないように努めています。
- 医師や看護師のように今回の対策として私にはできることはありません。しかし気持ちは同じように向かっているつもりですし、社会の一員であることを意識しています。私の場合、直接ではなく頑張ってくれている人を応援する立場ですが、心は一つだと思っています。
- 飲食を提供する人、スーパーで販売している人、公共交通機関を担ってくれている人など、危険と不安の中で通常の仕事を遂行してくれている人は「凄い人達だ」と思っています。こんな環境にあっても通常の仕事をしてくれているので、私達は生活できているのです。物を買うことができる。移動することができるなど、必要な日常サービスを提供してくれる人がいることに感謝しています。
- これを機に、普段の生活のあり方を見直しています。朝起きて、働いて、夜は明日に備えて就寝するサイクルが大事だと思っています。生活を見つめ直す機会だと思うので、生活の縮小ではなく原点に帰ろうと思っています。
以上のような意見を聞かせてもらいました。立場は違っても社会の一員であるとの意識を持って、感謝の心、励まし合っている姿を感じます。今できているのは、世界全体からするとほんの小さな活動に過ぎませんが、それでも社会を支えるために頑張っているのです。私達は社会から支えられ、支えている。小さな力を合わせている。つながっている。そんなことを感じる日が続いています。自分が届く範囲のことしか役割を果たせていませんが、少ないとしてもお礼の言葉を伝えてくれることや、「医者に行ってきたよ」「外出を控えています」「できることはありませんか」「一緒に励ましのための訪問ができて嬉しかったです」などの言葉をいただけていることが、現在の励みになっています。
無力さ故、挫けていることもありますし、辛いこともありますが、声援を贈ってくれる皆さんの言葉に救われています。今日から明日に向けた行動に駆り立ててくれるのは、温かい励ましの言葉だと思います。
風吹山弁財天院の護摩焚きに参加しました。新型コロナウイルスと戦っている皆さんと共にご祈祷してきました。「祈りの力を信じています」と、ご祈祷を担当してくれている修験の皆さんが語ってくれたように祈りの力は必要だと思います。社会を支えてくれている全ての皆さんの力が集まること。それが支えになります。
祭壇に沸き立つ炎、祈りの声、法螺貝の音、息遣いなど、祈りを天に届かせようとする力を感じました。私達の気持ちを包み込んで一つに束ねてしまうような祈りの力だと思いました。この沸き立った炎が私達の気持ちと一緒に天に向かっていると思います。人はお互いに助け合っている存在であることを、以前にも増して強く感じます。
護摩焚きを終えた後は清らかに、穏やかに、気持ちが落ち着きました。こんな時こそ、逸ることなく、慌てることなく平常心で挑みたいものです。
護摩焚きに続いて、弁天様にお祈りの奉納がありました。今回の参加者の一人が、世の平穏を願って祈りを捧げてくれました。二つの水晶を共鳴させて、「災いを去らせて平穏でありますように」と私達の気持ちを伝えるものです。不思議な共鳴音が静かに響いてこの場を包み、私達も包まれたように感じました。
全てを終えた後の皆さんの笑顔。社会の平穏のために必要なものだと感じました。