ご一緒した人が「混沌としていた人とのつながりがありました。どうして上手くつなげていけば良いのか分からないままでいました。だから生かし切れていない状況が続いていたので、みんな混沌とした感じがありました。しかし片桐さんが核になってくれたことから、混沌とした人のつながりが整理されて有機的なつながりになってきました。同じ方向に向かっていなかったものが同じ方向を見るようになってきたように感じています。
人がつながっていても、どう動くべきなのかが分からなければ成果は得られません。つながりの中に中心点があることで、お互いが引っ張り合える関係になり無秩序な関係でなくなります。人と人との関係が見えてきました」と話してくれました。
人が集まってもバラバラだと力を発揮できません。人が集まりまとまることで力を発揮できるのです。集団と組織の差はここにあります。組織的な動きをするためには役割分担が必要で、中心に人がいてそこから周囲に大きく伸びている感じになることが必要です。そんな輪郭が見え始めていることは組織になろうとしている証拠です。
多くの人を知っていることは大事なことです。でも名刺をたくさん持っていることや、SNSでたくさんの人とつながっていることは人脈ではありません。名刺などの数よりも、お互いに相手のことを認識していることや連絡を取れる関係にあることが大事なことです。
そして「片桐さんは僕のような者に対しても、最初の頃から全然変わらずに接してくれています。そのことか嬉しいのです」と話してくれました。こんな言葉を伝えてくれることに感謝しています。
ある創業者であり経営者の方が、「色々なことがあったけれど、今振り返ると全ての出来事を愛おしく感じています」という感想を聞かせてもらいました。事業所の設立、つまり誕生から成長までの過程を運営し、そして今年度末でお別れの時を迎えようとしている今日。色々な出来事とは、これまでの苦しいことや辛いこと、悲しいことを指していると思いますが、そんな思い出の全てが、今となっては楽しい思い出であり、マイナスの出来事でさえ「愛おしいこと」になっているのです。出来事の意味は変化するものであり、愛おしい思い出に変化する性質のものだと感じます。
これまで経験したことは大事なものですから、その経験を宝物にしたいと思います。宝物が増えると日々が充実したものになり、やがて愛おしい日々になっていくと思います。
突然、数年前、父が稲田病院に入院している時のことを思い出しました。毎日、父の様子を母が診に行っていました。入院している父を看病と着替えの洗濯のため、毎日、病院に通っていた母の姿を思い出したのです。
父を見守る母。あの時、僕は父の病状も心配していましたが、毎日のように病院に通っている母に疲れがでないかも心配していました。そんな父は5年前に亡くなりました。父を見送った母も父から遅れること4年、今から1年前に亡くなりました。あの時、確かにここにいた両親がいなくなったことを思いだしたのです。何故だか、突然、病院のベッドにいる両親の姿が浮かびました。「今はもういない」。「こんなことが現実なのか」と思ったのですが、戻らないあの時です。過ぎていく時の中にいると分からない感情が、過ぎ去った時に戻ると沸き起こることがあるのです。愛おしい日々とは、そんな日のことだと感じました。
人は誰でも苦しいことや辛いこと、悲しかった経験を持っていると思います。そんな経験の意味を変化させて今、持っていることが大事だと思います。辛い日々のままにしておくのか、愛おしい日々として記憶しておくのか。どちらが良いか明らかです。
創業者が「愛おしい」と表現した事業所を引き継ぐ皆さんには、その愛おしさを保ったままで運営し続けて欲しいと思います。