風吹山弁財天の弁財天護摩祈祷に行ってきました。これは2月3日にこの地を訪れた時に偶然出会った方から案内をしてもらったのですが、その方がこの弁財天の先生だったのです。
「片桐さん、大変なお仕事ですから時間があれば、氣を入れにお越し下さい」と案内してもらったもので参加してきました。
先生のご祈祷からは大きな氣が発散していたので、その氣が部屋中に満ちてくる感覚がありました。氣は見えませんが祈りの力は大きいので、その声、願いは天にまで届くと思います。
ご祈祷時間は約90分を超え「これだけ氣を発揮し続けている先生は相当の修行をしている」と思いました。どんな職業にも型があります。プロは型が決まっていますが、素人は型がないので様になりません。修行を続けている先生だからこそ、その凄みを感じさせますし、この方は今この時、天と通じているという安心感がありました。
ご祈祷をしている時、弁財天の前にお米を入れる釜があり下から火を焚いています。ご祈祷を続けている間、順番にお米を釜に入れるのですが、その時の「ボォォ〜ン」という音がステレオの音ように、部屋中に響き渡るのです。先生は「願いを聞き届けてくれている時は音が大きくなり、届いていない時は音が止みます。今日、音が響いていましたから、皆さんの思いは届いています」と終えた後に話してくれました。
ご祈祷の後、先生から直接、背中に氣を入れてもらいました。氣が通ると身体が温まるような感覚がありますから、免疫力を高める効果もあるように思います。
全てのご祈祷を終えた後、先生から「片桐さん、県政という大変な任務を担ってくれているので健康で活躍されることを期待しています」と伝えてくれました。社会全体に流れている雰囲気の中にいることから、少し弱っていた氣が回復していくことを感じました。
各月に開催している「ナームの会」に参加しました。新型コロナウイルスの関係からか、いつもより人数が少なくて寂しかったのですが、今日初めて講和を担当した山ア光龍師が「大切なこと」を伝えてくれました。緊張している様子がありましたが「大切なこと」を伝えてくれました。
山ア氏からは、「同じ長さでの時間あっても、長く感じたり短く感じたりします。一般的には楽しい時間は短く感じ、苦しい時間は長く感じる傾向にあります。小学校の時の1分間スピーチは嫌で嫌でたまらなかったので、その1分間がとても長く感じました」と小学生の時の事例を出して話してくれました。
感覚的な時間の中長さを決めるのは「好きか嫌いか」ですがその通りだと思います。ですから話をする時間を短くしようと思えば、「話をするために予習をしておく」ことや「得意分野の話をする」などの備えをしておくことです。誰でも「知らないこと」や「苦手なこと」の話は続きませんし、長く感じるものです。僕も以前、全く概念も分からない、想像力も働かない会の会場で突然、挨拶を依頼されたことがあります。この場合、話す内容がないので話がやりにくいのです。抽象的な話になるか当たり障りのない話になるので聞いている側からすると、面白くありません。面白くない話を聞かされることは退屈なことで、話す方も聞く方も時間が長く感じることになります。充実した時間は短く感じますから、事前に予習をして会議や会合に参加したいものです。
- 人と人を引き合わせるような仕事をされているYさんの事務所を訪ねました。医療と観光を組み合わせたり、インドと日本の技術を組み合わせた商品づくりを行ったり、人や物をマッチングさせる中から生み出される技術や商品があります。過去の事例を聞かせてもらった後、現在、取り組みしていることを伝えてもらいました。和歌山県にとって良いことはどんどん取り入れたいと考えています。
- 健康に関する話を聞かせてもらいました。抵抗力をつけるためには健康であることが最低条件で、新しい技術を利用した健康づくりについて話を聞き学びました。講師からは感動、反応、驚き、興味などのアクションがあることは大切なことだと説明してもらいました。
- 「片桐さんの話はおもしろかったですよ。もっと長く聴きたかったです」と話してくれました。反応をいただくことは嬉しいことですし、やりがいがあります。