和歌山文化協会茶道部の初釜に参加しました。新春のお茶会は心身とも弾むような気持になります。特に今日は正客として迎えてくれたことから、茶人との対話、心の会話も含めて楽しみました。
茶道部の永岡会長がお茶を点ててくれたので茶室の空気は引き締まりました。日本文化に通ずる空気が凛とするような緊張感があり、この空気と会長の心を楽しみました。心は所作や茶器に表れます。今日の茶器は会長が、特に大切にしているものを揃えてくれたことから伝統に触れる機会にもなりました。立派な茶器があり眺めていると、それは先代家本から受け継いだ名だったように、感動するような文化に触れることができました。
お茶は所作も大事ですが、それと同時にこの場を共に楽しむことが大切だと思います。一期一会と言われるように、この時、この人との出会いを楽しむ場だと思います。所作、茶器、短い会話などから皆さんと心の会話を交わします。
初釜はいつも新鮮で新しい年がスタートすることを感じますし、このご縁を大切にすることが大事なことだと感じさせてくれます。そう。ここに来られたことで出会えたことがご縁なのですから。伝統には必ず型がありますが、型があるから伝わる気持ちがあります。定まった所作をこなすことで、言葉がなくても気持ちが相通じるのです。阿吽の呼吸は日本人であれば分かることだと思いますが、共通することを認識しておくことで、お互いの気持ちが同じ方向に向いていることが分かるのです。所作と空気で分かり合える日本の伝統文化は素晴らしいと思います。
今日の初釜でご一緒させていただいた皆さんに感謝しています。ありがとうございます。
新春のナームの集いに参加しました。毎年、新年の講和は高木歓恒住職が担当してくれています。今年も新春のスタートにしっくりと来る素敵な話を聞かせてもらいました。
ウォーミングアップとして、10年は一昔、20年はふた昔と言います。では30年はというと世代と言います。30年が経過すると、そこにいる人が変わってしまっているのです。ナームの会は平成3年5月に第一回目を開催していますから、令和2年は30年目を迎えています。つまり一世代が経過していることになります。当時40歳の青年層だった高木住職は70歳になっています。これが世代と感じさせてくれました。
伝えてくれたお釈迦様の教えです。
「人は座して黙するをそしり、多くを語るをそしり、少し語るをそしる。およそ、この世にそしりを受けざる者はなし」という教えです。
これは次のような意味のことです。人は黙っていても批判され、多くを語る人も「しゃべりすぎる」と批判を受け、「ほどほどのしゃべる人も批判される」ということです。世間は何をしても言っても批判される対象になるものです。だから世間の批判、魔物の言葉に揺さぶられないように、自分の思いを固めていくべきということです。
事例として元メジャーリーガーのイチロー選手のことを紹介してくれました。イチロー選手であっても批判の対象になっていたのです。現役時代に「単打しか打てないモスキート」、「一番バッターなのに四球が少ない」、「全体の27、28パーセントが内野安打。世界一幸運な男に違いない」などと批判されたこともあるようです。
イチロー選手でさえ批判されるのですから世間は魔物です。その魔物に心が動かされないようにすることは実に難しいことなのです。
しかし魔物の正体は世間という、自分を中心にものを見ている人達の一つの物差しに過ぎないので、惑わされないようにしたいものです。世間は立場や目線が違う人達からの攻撃です。立場や目線が違うと批判されるのは当たり前なので、自分を見失わないようにしたいものです。
その場に行くことが大事なことです。例えば今日の会に行って講義を聴くこと。仮に眠くて話を聴いていなかったとしても、それだけで自分の為になるのです。
このことは薫習力という言葉に似ています。これは衣などに香りがしみ込むことの意味です。講和の場にいると、例え話を聴いていなかったとしても、話の香りが染み込むようになっていくのです。
同じように「花を弄すれば香り衣に満つ」と言う言葉もあります。これは、花を弄んでいると、花の中に身を置いることになり、その花の香りがいつの間にか着物にしみつくように、人もよき友、よき環境の中に身を置いていれば、いつの間にかよくなるものだ、という意味だそうです。良い話を聴くこと、良い場に行くこと、良い出会いをすることが人にとって大事なことだと思います。
高木住職、本日の講和、ありがとうございます。
2年前に向陽高校を卒業した生徒の皆さんの成人式に参加しました。毎年、成人式を迎える向陽高校の卒業生をお祝いする会を開催していますが、海草・向陽同窓会会長として、今年も参加、祝辞を後輩の皆さんに伝えました。
新年おめでとうございます。そして成人を迎えられたことをお祝いいたします。おめでとう。海草・向陽同窓会会長として皆さんにお祝いの言葉を一所懸命に伝えたいと思います。一つだけでも何かを持ち帰ってもらえると嬉しいです。
皆さんは今20歳。これから大きな可能性を持っています。卒業してから県外で暮らしている人も多いでしょうから、皆さんの世界観が既に大きく広がっていると思います。これからどんな人生にするか目標を持って活躍している後輩を頼もしく思っています。
僕は20歳代の頃、外国を見たいと思ってあちらこちらの国を旅行しました。これまで多くの国を訪れてきましたが、その世界観は人生において役立っています。訪れた国のニュース、出来事は訪れたことのない国と比較して情報のアンテナが立っていますから、自分のところに入ってきやすいのです。
そして30歳代の時、熊野古道を世界遺産にするため和歌山県が実施した博覧会実行委員会の仕事をしました。故郷、和歌山県の良さ、誇りを全国に伝えることができました。
世界と故郷を感じた僕は地元に貢献したいと思い、平成15年に和歌山市議会議員に、その後県議会議員になり活動をしているところです。10年刻みのステージの自分の目標を立てることが大事だと思います。
そして今日の成人式の幹事をしてくれている吉田君と先ほど会って話をしました。平成15年、市議会議員になった年に和歌山市では大きな問題が発生していました。市立大新幼稚園を廃園とする問題です。和歌山市教育委員会は行財政改革の一環として児童数が減少している幼稚園を廃園しようとしていました。教育委員会は保護者に廃園する旨を伝えその方向で行政改革を進めていました。
ところが皆さんが幼稚園だった頃ですから、保護者のお母さん、お父さんは自分の子どもがいる幼稚園を廃園させることはできないと思い、反対の立場で行動していました。
行政と保護者の利害が対立していたのです。当時僕は新人でしたが、議員の立場でこの問題を考えました。財政難にあった和歌山市にとって、行財政改革は必要なことです。しかし保護者の子どもを思う気持ちも大事なことです。議員としての立場は社会的に弱い立場の人の味方につくことだと思いました。社会では権力者側の人、そうでない立場の人があります。立場が違いますから、両者の見解や利害が対立することが多々あります。
その場合、議員は弱い立場の側で問題解決を図ることを考えます。皆さんも向陽高校卒業生ですから同じ立場を取って欲しいと思います。社会で困っている人がいれば、権力者から追い詰められている人がいれば、是非とも弱い立場にいる人を助けて欲しいのです。それが向陽高校卒業生の社会での立場であり、皆さんが取るべき行動だと思います。
皆さんの先輩がそうであるように、向陽高校生は社会で評価されてると思います。社会で活躍するための切符を入手している皆さんは、驕ることなく弱い立場の人の味方になって欲しいと思います。社会、法律やビジネスなどでは利益衡量の考え方で考えますが、時には弱者の立場で考えることも必要なことを伝えたいと思います。
今日、この成人式は久しぶりに同級生に会える楽しい時間になります。楽しいひと時を過ごして欲しいと思いますし、時には向陽高校にも立ち寄って欲しいと思います。皆さんの原点がここにあるからです。向陽高校は同窓会員の皆さんをいつでもお待ちしています。以上がメッセージです。成人、おめでとうございます。
若い後輩との時間を楽しみました。ありがとう。