児童養護施設「こばと学園」を訪ねました。子ども達へのクリスマスのプレゼントとして「きいちゃん」にも登場してもらって劇を楽しんでもらいました。日本の童話を題材とした中に「きいちゃん」に登場してもらい、子ども達に物を大切にすることを伝えました。
物語の中で「きいちゃん」をいじめる鬼が登場したので、子ども達に鬼退治の協力してもらいました。「きいちゃん」が登場した時、子ども達は「きいちゃん」の可愛い掛け声で迎えてくれましたが、鬼が登場した時は「怖い〜っ」という声と共に、舞台から遠ざかるような空気があり、子ども達の感性に感心しました。
劇を終えた後の出演者も「思ったよりも子ども達が怖がったので大丈夫かな」と思ったと話してくれたほどです。
劇を終えた後はみんなで「きいちゃんダンス」を踊りましたが、子ども達も全員立ち上がって一緒に踊ってくれました。今年も学園の夏祭りの舞台でもこのダンスを踊ったので、覚えている子どももいて、他の子ども達をリードしてくれたように思います。小さな子ども達も手を振って、楽しそうに踊ってくれました。
先生方からは「子ども達は今日、『きいちゃん』が来て劇を披露してくれることをとても楽しみにしていました。子ども達の期待通りだったと思います。来年も来てくれたら嬉しいです」、「みんながきいちゃんダンスを踊ってくれたので楽しかったです。まだここに来て間もない子ども達も踊ってくれたので嬉しく思いました」などの感想を伝えてくれました。
今日の劇とダンスなどが、子ども達にとって楽しい思い出になってくれたら嬉しいことです。
ノンフィクション作家である佐山和夫さんの講演会に参加しました。この講演会は「外交史料展関連講演」と位置付けられていること、そして講演テーマが「日米交流は、紀州から始まった−ペリーよりも62年早く−」だったので、是非、聞きたいと思って参加したものです。
1791年に串本町にジョン・ケンドリック船長が率いるアメリカ船「レイディ・ワシントン号」が来航しています。これは1853年のペリーの黒船来航よりも62年も早かったのです。日本史では埋もれていますが、わが国で最も早くアメリカと接点を持ったのは紀州だったということです。
この史実かあることで串本町に「日米修好記念館」が設置されているのですが、この館もあまり知られていないようです。 この「レイディ・ワシントン号」の来航が歴史的にあまり評価されていないのは、次のような理由があるからだと説明してくれました。
- アメリカ大統領の親書を携えていなかったこと。
これについては1787年当時アメリカに大統領が存在していなかったからです。ジョージ・ワシントンが大統領に就任したのは、この2年後ですから、親書を携えることはあり得なかったのです。 - 「レイディ・ワシントン号」が商船だったこと。
確かに軍艦ではなく商船でしたが、ジョン・ケンドリック船長の肩書はコマンダー「司令官」であり、ボストン港を出港したのはこの商船と軍艦である「コロンビア号」だったことから、漂流ではなく交易を目的に来ていたものではないと推測できます。 - 幕府の史料には「漂流して寄港した」と記されていること。
幕府が知らせを受け串本町に到着した時、既に「レイディ・ワシントン号」は串本港から出航していたので、幕府は理由を把握していないと見るのが筋です。この時代、わが国は鎖国していたので、アメリカ船が目的をもって立ち寄ったことを記載することは適切ではなかったと思われます。 - アメリカの史料によると、日本に開国するように「トライすること」と書かれていること。
日本とアメリカの史料の両方を確認しなければ、何が正しいとこだったのか分からないのです。
串本町に「レイディ・ワシントン号」が立ち寄ったことを1000ピースのジグソーパズルだとすれば、日本の史料は3ピース程度、アメリカの史料で700ピースぐらい分かるようなものです。日本の史料を基にして歴史を構成しようとしても正しいことにはなりません。
以上の材料からペリーよりも62年も早く日米交流が始まった歴史があり、それは紀州から始まったと言えるのではないかと説明してくれました。
和歌山県の新しいものを受け入れる度量、先進性、開放性などが感じられました。