活動報告・レポート
2019年11月30日(土)
土曜講座−先人の歩みを引き継ぐ−

全4回シリーズの土曜講座に参加しました。これは明治外交史料展「外交史料と近代日本のあゆみ」展開催を記念して開催されているもので、今回が3回目の講座となります。

今回は「平等条約から見た世界」をテーマに講義を受けました。講師は福田光男さんで、紀伊国から日本、世界が見えることについての話を聞かせていただきました。

紀伊国は1500年前から中国や韓国と交流、交易を行なっていた国で、最も古くから世界とつながっていた地域だそうです。もう一か所は伊勢国が世界と交流していた場所で、西は紀伊国、東は伊勢国が世界と交流をしていた国だそうです。

このように、かつて日本で一番世界に近いところは紀伊国で、和歌山県はその先進性、開放性を持っている県なのです。

また16世記のスペインの日本地図には根来という地名が記されています。記された地名は極めて少ないのですが、根来が記載されていることは紀伊が世界と交流があったこと、民主制があったことなどが理由だと思います。当時の根来衆は、物事を決めるのにみんなの意見を聞いて話し合って決定していたようですから、閉鎖的な国の中で民主制があった地域だったのです。

このような紀伊国の背景があり、明治時代に陸奥宗光伯が世界を相手に活躍したのです。明治時代、和歌山藩の青写真が明治政府の青写真となったのです。それは陸奥宗光伯が津田出などのメンバーと共に藩政改革で富国強兵のモデルを作ったからです。

その藩政改革の中身は、次のようなものでした。

倹約すること。身分に関係なく役人に登用すること。学校。交代兵制度とした近代的な軍隊。和歌山藩の近代化。これは化学機械染色工場、地場産業の基礎。電気とガスの青写真。紀州ネルなどの育成を図ったことです。これらの藩政改革は明治政府からも欧米からも注目されたということです。このように、和歌山藩の青写真が明治政府の青写真になって明治時代が始まったと思うとワクワクしますし、明治政府の礎を築いた和歌山県はやはり凄い地域だと思います。

後に明治政府最大の課題である不平等条約改正を成し遂げる陸奥宗光伯ですが、紀伊国に流れるDNAが関係しているかも知れないと思うと、私達にもこのDNAと文化的素養は引き継がれていると思います。

これらを踏まえて講師の福田先生は、陸奥宗光伯が不平等条約改正を成し遂げた根本にある考えを示してくれました。

  1. 思考力、考える力です。
  2. 判断力、今何をやるかです。
  3. 実行力、やる力です。
  4. コミュニケーション力、力を合わせることです。

陸奥宗光伯は、これらの考え方を持って世界と対峙したのです。そして陸奥宗光伯が不平等条約を改正できた理由は次の通りだということです。

  • 時の流れをつかんでいた。
  • 絆を築くことができた。
  • 相手の立場を読んでいた。
  • 全体を読む力があった。
  • 逆境の中から生き抜く力があった。
  • 国際感覚を身に着けていた。

以上のような理由があるということです。これは今の時代にも必要な能力で、他の人が持ち合わせていない人間性を持っていたと思います。

1500年前の紀伊国の人にできたこと。明治時代の人にできたことが、現代の和歌山県にできない筈はありません。できないとすれば、多くの和歌山県民が県の歴史を知らないことから、自信を持っていないだけのことです。

但し、現代でも和歌山県には誇るべき偉人はいます。世界に通用するロケット技術開発を目指した上野精一さんがそうですし、明治の偉人と同じように語り継ぐべき存在だと思います。歴史を学ぶことは現代につながっている人や物語に気付くことです。

偉人の生き様を聞いて感心することや納得することはあるけれど、それを見習って行動しないようでは、実践的な学びだと言えません。学習したことを実践するとこが大切だと感じました。 福田光男先生の講義の機会を得られたことを感謝しています。