活動報告・レポート
2019年11月23日(土)
防災シンポジウム
先輩

20歳代の時に一緒に仕事をした先輩と会いました。一昨年、病気をして現在リハビリに努めていますが、当時と変わらない笑顔でいたことを嬉しく思います。久しぶりに会うととても懐かしく、当時の出来事などの話を交わしました。

現在は、農園で農作物を作るなど自分でできるリハビリも行うなど、現役の時と同じように懸命な姿に感動しました。生きることは難しいことだけれど、一所懸命の姿に接し元気をいただきました。

健康に留意して、いつまでも笑顔でいて欲しいと願っています。

防災シンポジウム

NHK和歌山放送局主催の防災シンポジウムに参加しました。第一部は「南海トラフ巨大地震に立ち向かうには」をテーマに名古屋大学減災連携研究センター長の福和伸夫教授から講義を受けました。名古屋大学の福和先生の講義はどうしても聞きたかったので、今日の講義を楽しみにしていました。それは災害が起きてから対応するのではなくて、防災意識を持ち事前対策が重要であることを以前から分かりやすく伝えてくれている先生だからです。

今日の講義も分かりやすい言葉で防災の考え方を伝えてくれました。講義とパネルディスカッションで印象に残った話を以下に記します。

防災対策には優先順位をつけること。このことをトリアージという用語を用いて説明してくれました。優先順位をつけても実施していない人が多いので優先順位をつけたら実施することが備えることです。例えば部屋の家具などの転倒防止対策は分かっているけれど、やっていない人が多いと思います。防災対策は分かっていることを実践することが大事です。

東日本大震の時、仙台市のいずみコミュニティエフエムとNHK放送局が情報連携を行い、情報を発信し続けていました。被災した皆さんに必要な情報を発信し続けた先進事例です。「災害に特ダネなし」という表現をしてくれたように、特ダネではなく、どの局からも必要な情報は発信することが命を守るために大事なことです。

報道だけではなく県や市も地元放送局と情報を連携して発信することが求められます。災害時に開局する臨時エフエム局も大事ですが、存在しているコミュニティエフエムが力を発揮することは、これまでの災害発生時の情報発信の事例からも明らかです。

和歌山県においても、日常からの地元局との連携の重要性が理解できました。和歌山県は県内5つのコミュニティエフエム局と防災協定を締結していますから、連携の仕組みはできています。

この協定に基づいた情報発信をするために日常のコミュニケーションを更に強化することを期待しています。

頻発するスーパー広域災害に立ち向かう必要があること。そのためにはたくさんの情報が必要になります。情報は命をつなぐものであることを理解して、行政、報道が連携を図り迅速に被災地域に届けることが何よりも大事なことです。

近助と遠助の両方を視野に入れた事前対策を考えておくことです。近隣の方との助け合いは大事ですし、それに加えて近隣も被災しますから遠方の機関との連携も日常から仕組みを整えておくことが大事です。結局は、顔の見える関係を作っておくことが遠助ですから、困った時に「私を一番に助けて」とはいきません。日頃からのつきあいと情報連携を行うことが大事なので実践することです。

眉間にしわを寄せていると人は近寄ってきません。心掛けておくべきことは「あたま」です。

「あ」は明るく、「た」は楽しく、そして「ま」は前向きにです。これが人付き合いの基本であり防災対策の基本になります。

事前対策はうろたえてはダメだということです。うろたえると世界から見放されます。うろたえないためには自分で事前対策をやっておく以外にありません。災害が発生した時、自助で確実に乗り越えること。その次は発信されている情報を生かすことです。

その昔、人は関西を中心に生活をしていました。ですから地名の遠州は静岡、遠淡海は浜名湖のことを指します。つまり静岡から西の地域に人は暮らしていたのです。静岡県から東は河川の氾濫が多く住むためには土地の改良が必要だったのです。安全な場所で生活をすることが防災対策の基本です。

地名に注意を持って下さい。沼、谷、女、龍などの漢字を持つ地名のところは、昔に災害が発生していた地域です。また地形にも注意をすべきで、河川の狭小部、屈曲部、合流部などは災害が発生しやすい場所です。

形を作っただけでは機能しないのです。仕組みを作ったとしても、目的は共有できないのです。

また見たくないものは見えないし、見たいものだけが見えるのです。防災対策も同じですから、見たくない人に見させることはできません。

寺田寅彦氏の「災害と国防」の経済往来はわが国の防災について警鐘を発してくれています。

堤防を高くすればするほど小さな災害は防げますが、破堤すると逆に甚大な被害を出すことになります。また、建物の規模が大きくなれば、建物が壊れたときの犠牲者は膨大になります。小さな戸建て住宅が分散していた時代の被害より大きくなります。例えば、東京のように狭い地域に膨大な人が住めば、直下の小さな地震でも甚大な被害となります。災害に対応できるという過信は過ちになります。

防災について考え直す素晴らしい講義でした。