活動報告・レポート
2019年11月12日(火)
青森県研修
奥入瀬渓流

昨日から青森県に入り研修を行いましたが、今日、青森県の中でも大自然である奥入瀬渓流を実に38年ぶりに訪れました。

僕の記憶では、20歳の時に八戸にいる友人を訪ねています。三沢空港で降りてレンタカーで八戸市内に向かう途中で時間があったので、この友人から「待ち合わせまで時間があれば、奥入瀬渓流を訪ねると良いですよ」と聞いていたので、奥入瀬渓流と十和田湖を訪ねたのです。

当時はレンタカーにナビゲーションはなかったので、方向が分からなくなれば渓流までの道を地元の方に尋ねながら走ったのですが、青森弁が聞き取れなかったことを、何故か今も覚えています。

初めて訪れた奥入瀬渓流は素晴らしい景色で、この時、直ぐに青森県には来ることができるだろうと「その時もここを訪ねたい」と思っていたのですが、あの時から実に38年が経過していますから驚いています。奥入瀬渓流から十和田湖までの運転は快適で、「こんなきれいな場所があるんだ」と思いながらドライブしていたと思います。

参考までに十和田湖の特長は、日本で三番目の深さがある湖で、富士山がすっぽりと入る深さがあることと、流れ込む河川がなく湖底からの湧き水で湖を形成していることにあります。湧き水だけで巨大な湖を作っているのですから、この点でも自然界の不思議を感じます。

奥入瀬渓流

今日も、あの頃と同じ景色があり、年月を経ても姿を変えない自然の凄みを感じました。長年、変わらないこと、守り続けることは簡単なことではないので、そのまま存在していることは本当に凄いことだと思います。

変わらないといっても、絶えず小さな変化を繰り返しながら、全体は何も変わっていないことが凄いのです。しかもこの場所は、訪れる全ての人を感動させる見事なまでのきれいさを保っています。白樺、渓流、紅葉、冬支度の木々、小雨の道、自然の見事なまでの景色は、畏敬さえ感じさせてくれます。

がけ崩れや大雨などで落石、川の流れが変わるなど、絶えず小さな変化を繰り返しながら渓流としては全く変わらない自然と、年月の経過と共に変わっていく人の対比をおかしく感じました。 自然は存在していますが、あの時にここに来た人は今日ここにいないのです。余談ですが、あの時の八戸の友人は、既に若くしてこの世を去り、その時の八戸のメンバーと会うことはなくなっています。自然は変わらないで佇んでいる。しかし人は変わっていく存在だから、結局、人は何十年、何百年も変わらない自然には勝てないわけです。

奥入瀬渓流

奥入瀬渓流の大自然を美しいと感じるのは、人は変わっていく中で失ってきたものを思い儚く感じるからだと思いました。

変わらないとは、「過去も未来もここにある」そんな感じがします。逆に変わるとは、「過去は存在せず、未来もここにないこと」だと思います。奥入瀬渓流は四季を繰り返し、現在にいながら過去も未来も見せてくれます。凄いとしか言いようがない大自然を訪れ、今ここにいる有り難さを感じました。

十和田湖は湖面が大きな波となり荒れていました。同行してくれた運転手さんは「こんな荒れている十和田湖は珍しいですよ」と説明してくれた程です。小雨できれいさを増した奥入瀬渓流と珍しいほど荒れていた十和田湖。久しぶりに訪れた景勝地は、普段と違う姿で迎え入れてくれたように思います。

観光地は、非日常を見ることであり、かつて訪れた人をその時と変わらぬ姿で再び感動させる力を持っていること、そして初めて訪れる人にも現代に通用する表情を持っていることが求められます。大自然は表情が豊かで、訪れる人を感動させてくれます。

この後も研修を行い青森県の現在を学びました。