現在、和歌山県でロケット射場が建設されています。「和歌山県串本町でロケット発射場をつくりたいね」と話していたことを話し合いました。当時はJAXAのロケット発射場の建設を語り合っていたのですが、結果として民間ロケット射場の姿として実現することになりました。それでも当時、話し合っていたのと同じ場所にロケット射場ができるのですから、夢を語り合っていた私達は自分のことのように嬉しく思っています。
振り返ると当時、「串本町にロケット発射場なんて出来るわけない」と一笑に付されていたのですが、令和元年から建設工事を開始し、令和3年には完成する見込みですから、当時の夢が実現しようしています。
和歌山県にロケット発射場を建設することを目指して、教育委員会で宇宙教育を開始したのもその頃でした。県教育委員会から推薦をしてもらった教師の方々を対象に筑波宇宙センターで研修、訓練を行い、スペース・ティーチャーズを養成、教育の場で活躍してもらい始めました。宇宙教育を教育に取り込んだのは和歌山県が初めてのことでした。
このスペース・ティーチャーズ誕生のきっかけとなったのが和歌山県出身の元JAXA役員の上野精一さんでした。そしてフォルテワジマを会場として宇宙に関する講演会を開催した時にゲスト参加してくれたのが現在のJAXA山川理事長だったのです。
当時、和歌山県の宇宙教育とスペース・ティーチャーズ誕生に関わってくれたJAXAの方々が、現在もJAXA、そして串本町で民間ロケット事業の主体であるスペースワンの役員に就任されています。
令和元年11月16日、スペースワンの事業発表式典が串本町内のホテルで予定されており、式典会場にその皆さんが東京から来てくれる予定だと聞いています。
ただその前日である15日に東京都内で和歌山県出身の元JAXA役員の上野精一さんのお別れ会が開催されることになっています。とても光栄なことに、その会で僕に「送別の辞」の依頼をいただきましたが、残念なことに公務があり欠席させていただくことの返事をしました。心からの送別の辞を伝えたかったのですが、辞退させていただき、公務の場において心の中でお別れの言葉を伝えたいと思っています。
和歌山県にロケット射場を建設することを話し合い、どこよりも早く県教育委員会に対して宇宙教育の実施を提言してきた上野さんのお別れの会が15日に東京都内で開催され、翌16日の串本町での式典に参加することができなくなっています。
終わりの時を告げた翌日に、ロケット射場のスタートの時を刻むことになります。何ともいえ ない巡り合わせを感じる日時設定になっています。上野精一さんは今年3月末に退官した後にこの和歌山県事業に関わってくれる予定で、記念すべき足跡を刻む式典に来ることができなくなったことは残念ですが、和歌山県に宇宙教育を取り入れることを提言し、その後の活動を支えてくれたその意志を引き継ぎたいと思います。
上野さんのJAXAでの最後の仕事が、和歌山市内のホテルグランヴィアで開催した「宇宙講演会」での講師でした。そしてこの講演会が実質的に最後の仕事になったのです。
関係者は「JAXAの最後の仕事として、和歌山市で講演会を務めることができたことを喜んでいると思います。故郷に奉公をする機会をつくってくれた片桐さんに感謝していると思います。残念だけれど、その時、彼は講師を務めたことを喜んでいました」と話してくれました。
この方は、闘病生活の中でひとつの歌を作詞、作曲していましたし、その歌声が録音されています。タイトルは「宇宙(そら)へ」ですが、故郷への思いと宇宙へ飛び立つことのメッセージソングであり、応援ソングの仕上がりになっています。
できることなら、関係者の理解を得て和歌山県での宇宙事業の応援ソングとして永遠に歌い続けたいと思います。
- ある方に来春に計画している講演会の講師の依頼をしたところ、快く引き受けてくれました。とてもご多用にも関わらず「講演会の概要を教えて下さい」ということで、その趣旨を説明してお願いしたところ、快諾してくれたものです。今から講演会の日を楽しみにしています。
- 有り難いことに友人達が懇親の機会を設けてくれました。仲間のお陰で楽しい食事会となりました。