活動報告・レポート
2019年11月5日(火)
向陽学舎の会
向陽学舎の会
向陽学舎の会

向陽高校「学舎の会」主催で毎月一回、古典講座を開催しています。今回が150回目の節目に当たることから、地元や同窓生の皆さんに呼び掛けて記念講演を開催してくれました。

記念講演は北澤正憲先生で「奥の細道」を題材として「芭蕉37歳の挑戦〜言語遊戯から芸術へ〜」をテーマに話してくれました。芭蕉は37歳の時に江戸の深川に居を構え、ここで芭蕉俳諧をつくり俳人としての拠点としています。

37歳は現在寿命に置き換えるとすれば63になると解説してくれました。つまり人生の晩年を芭蕉俳諧の総仕上げとして、「奥の細道」の旅などに出掛けることになるのです。

参考までに芭蕉が死去したのは51歳で、現在年齢に置き換えるなら87歳に相当するとのことです。

記念講演で取り上げたのは「平泉」で、余りにも有名な「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んでいます。自然も人生も流転を重ねていることを詠んだ句ですが、情景を想うと悲哀を感じさせてくれるものです。

先生は、芭蕉が「平泉」でこの句を詠んだ背景を詳しく解説してくれました。

三代の栄華が一睡の中に消え去った跡に立ちこの句が誕生しています。一睡の中とは、中国の故事にある「一炊の夢」から来ているもので、若者がご飯が炊き上がるのを待っている間に睡魔に襲われ、自分の人生を回顧していた時に目覚めると、まだ炊飯しているところだという話から来ているものです。人生は炊飯までの時と同じように短く儚いものであることの例えです。奥州藤原三代の栄華も永遠ではなく、振り返ると瞬間の出来事であり、後の時代になれば永遠の時も一瞬で消え去っていることを感じたことを俳句にしたものです。

向陽学舎の会

続けて「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」の表現で奥州藤原三代の栄華を伝えています。この言葉も言うまでもなく中国の詩人「杜甫」のもので、先の表現と同じように盛者必衰を表しています。

芭蕉は平泉の地で栄華と衰退までの長くて短い時を感じ、生きている私達に対する人生の教訓として詠んだことだと思います。長い人生も一睡、そして一炊の時であり、短い時だと分かった上で懸命に生きることに意味があると伝えてくれているようです。

例え栄華を誇っても、平凡であっても、人生は儚く全ては夢の跡となっていくものなので、この瞬間を生きることこそ全てだということです。

さて開講に際して「海草・向陽同窓会」を代表して挨拶をさせていただきました。挨拶の趣旨は次の通りです。

皆さま、こんにちは。日頃からお世話になっている地域の皆さんにお礼申し上げます。

海草向陽同窓会を代表して挨拶させていただきます。向陽高校同窓会の「学舎の会」では毎月一回、古典講座を開講しています。その講座が150回目を迎えたことから本日、記念講演を開講する運びとなりました。テーマは松尾芭蕉の「奥の細道」から取り上げると聞いています。私も北澤先生から「奥の細道」のテキストをいただいていますが、まだ読破していないので、今日の講演を楽しみにしていました。古典を学ぶことは現在に通用する知恵をいただくことであり、先人から受け取れる知恵は私達の人生の指標となるものだと考えています。

「奥の細道」から「平泉」を学ぶことは、知識を得るだけではなく知恵を得ることにもなると思いますので、最後まで一緒に学びたいと思います。本日、参加していただいた皆さんに感謝申し上げ、引き続き海草向陽同窓会を応援していただくことを祈念して挨拶といたします。本日はありがとうございます。

「学舎の会」で、以上の挨拶をさせてもらいました。

向陽高校の授業
向陽高校

続いて向陽高校スーパー・サイエンス・スクールの授業を傍聴いたしました。生徒がチームで調査したテーマの発表を行い、チーム以外のクラスの生徒が発表を聞き、質問を行う授業です。

発表はレベルが高く、質問する生徒のレベルも高いことに驚きました。高校でこんなレベルの授業をしているとは思いもしませんでした。テーマを調べるために現地での実証を行うことや実験をすること、そして仮説を立証していく方法など高校生とは思えないデータ解析と結論を導いた発表でした。

母校である学校の現役の生徒の皆さんの今日の発表を誇りに思いました。