活動報告・レポート
2019年11月4日(祝・月)
外交史料展記念シンポジウム

現在、和歌山県立近代美術館開会中の外交史料展を記念したシンポジウムが開催されました。記念公演は学習院大学の井上寿一学長が「近代日本外交の興隆 ― 陸奥宗光とその時代」と題しての講演がありました。以下、感想を交えて講演内容を記載します。

外交史料展記念シンポジウム

大きく言うと、明治時代は不平等条約を改正するための時代であった背景を説明してくれました。明治2年には外交のため外務省が誕生していることからも不平等条約改正こそ明治の最重要課題でした。当時の東アジアは中華帝国秩序という欧米と異なる国の関係があったことから、近代国家とは言えない状況でした。日本は近代化を進めるため、中国や韓国よりも10年以上早く近代化へのスタートを切ったので、東アジア諸国と近代化においてその後に大きな差がついていくことになります。

明治政府が不平等条約の改正を最大の課題と考えた理由は、国家的独立の危機に陥ることを回避したかったからです。欧米諸国と不平等な関係にあると、何事も対等に交渉できないことなどから格下扱いされること、そして非文明国とは危険で交渉できないと捉えられることから、平等条約を締結したいと考えていました。

外交史料展記念シンポジウム

明治時代の不平等条約は、関税自主権と法権のふたつです。法権の内訳は、治外法権と領事裁判権、加えて最近では行政権も含まれると解釈されています。この行政権とは、明文化していないけれども社会行動には行政のルールがあり、それに従うことを言います。

これらの権利を回復するために、当時、岩倉使節団や鹿鳴館外交によって文明国の仲間入りを模索しています。岩倉使節団の結果としてアメリカからは好意的に迎えられましたが、欧州の国々からは冷ややかに扱われたそうです。

そこで欧米から文明国と認められるためには、憲法制定と議会開設が不可欠であることを意識することになります。「憲法もない、議会も設置されていない国は文明国ではないので相手にできない」ということです。

陸奥宗光伯は1892年に外務大臣に就任すると条約改正草案をつくります。外務大臣の案は「過渡時代のための条約ではなく、数年後に発効する対等条約」だったのです。確実に発効する条約なので世論から支持されることになります。この考え方は、その後の条約改正につながる基本的な枠組みは、陸奥宗光外務大臣がつくったのです。

外交史料展記念シンポジウム

そして大臣がメキシコとの条約改正に続いて目指したのが、当時の覇権国であったイギリスでした。当時のイギリスは、ロシアと覇権国争いをしていたこともあり、東アジアにおいてロシアをけん制する上で、日本が大事な国であるとしていたことを陸奥宗光伯は情報として把握していたのです。イギリスは日本との間で日英通商航海条約の調印を行い法権の回復を行いました。イギリスはロシアの動きを止めようと判断したのですが、この条約改正は陸奥宗光伯の力量に負うところが大きいのです。

このように不平等条約改正を行った陸奥宗光伯の情報収集力と的確な判断によって明治政府は近代化を成し遂げることになります。この条約改正の実績と外交の考え方が次の時代にも継続されるよう、外務省には陸奥宗光伯の銅像が建立されているのです。

外交史料展記念シンポジウム

明治外交と陸奥宗光外務大臣の行動が良く理解できる講演でした。

またシンポジウムには日本大学危機管理学部小谷賢教授と外交史料館の福嶌香代子館長にパネリストとして加わっていただき知事の進行によって話が展開していきました。

シンポジウムの話の中から感じたことの一部を、以下に記載します。

  • 情報という単語は明治時代にできたもので陸軍が「状況を報告する」という意味で使われたことが始まりです。岩倉使節団がサンフランシスコに到着した時、日本政府に電報を送りました。アメリカから長崎まで届けるのに要した日数はわずか1日でした。しかし長崎から東京に届くのに要した日数は10日間だったのです。この情報伝達の速度の差が国力の差になると考え、明治政府は海底ケーブルを含む通信網の整備を行うことになります。
  • 陸奥外交には、優れた国際情報認識と判断能力があったことが条約改正に結び付いた理由だということです。当時のイギリスが置かれた立場を認識し、ロシアを意識させた上で条約改正につなげたことで、次々と他の国も条約改正に応じていくことになります。イギリスは清国が日本を支配してしまうと東アジアのバランスオブパワーが崩れ、ロシアに優位に動くと考えていたことを陸奥大臣は把握していたので、そこを狙ってメキシコの次に当時の覇権国イギリスとの条約改正に着手したのです。
  • 外交史料展記念シンポジウム
  • 外交とは国と国との約束事です。国民を縛ることになるので、簡単に「はい、はい」ということになりません。事前交渉が必要となり、その交渉力こそ外交の要諦なのです。
    外交とは「すみませんが、わが国のためにこの点の理解をお願いします」などの交渉ではありません。相手国も国益を担って交渉のテーブルについているので「あなたの国の利益のために、この点を譲歩するので、わが国のためにこの点を譲って欲しい」という国益のため駆け引きの交渉となります。
    但し対外弱の交渉は国民の理解を得ることが難しく、交渉は対外硬が国民受けします。しかし対外弱に映る外交でも実を取れることが力量なので、私達は表面だけを見て弱腰だと判断するのではなくて内容を知り評価すべきだと思います。
  • 日本は現在も品格のある国です。私達は品格のある国を継承し、品格のある和歌山県を目指しています。また他者から学ぶ姿勢を大切にしたいと思います。中でも実践の中から学ぶことこそ生きた勉強なので、明治外交からその姿勢を学びたいと思います。