活動報告・レポート
2019年10月22日(祝・火)
郷土の先輩の言葉
徳川家特別展

紀州徳川家入国400の年を記念して「徳川頼宣と紀伊徳川家の名宝」特別展が、和歌山県立博物館と和歌山市立博物館の両方で開催されています。和歌山県と和歌山市の力の入れ具合が想像できる企画です。

博物館には多くの人が訪れ鑑賞していたように、地元の歴史への関心の高さをうかがい知ることができる光景でした。

徳川家入国から400年の歴史を令和の時代に伝えようとする博物館の姿勢は素晴らしいと思います。しかも11月2日からは「外交史料と近代日本のあゆみ」展が開催されますから、11月は紀州徳川家と近代日本の歴史を和歌山県で鑑賞できる、今後も訪れないような絶好の機会となります。皆さんには是非、鑑賞していただき、和歌山県が舞台となっている江戸時代と明治時代の歴史を味わって欲しいと思います。和歌山県の現在は、江戸時代以降、多くの人が歴史を創り上げてきた故郷であり、誇りを持つことにつながると思うからです。江戸から明治の歴史を知ることは、昭和、平成、そして令和へとつながる歴史を振り返る契機にもなり、令和という時代を担い、これから創ろうとする気概が生まれてくると思います。

この特別展は11月24日までの会期となっています。

郷土の先輩の言葉
宇賀部神社

和歌山市にある和歌山ビッグ愛会議室で、土曜日に実施された「命を大切にする授業」において、郷土の先輩に学ぶ「生きる」ことを伝えてもらいました。これは小野田寛郎さんの言葉を引用して子ども達に語ってくれたものです。

和歌山県海南市の宇賀部神社に小野田寛郎さんの碑があります。話を聞いて行ってみたいと思っていました。ここは小野田さんの縁のある神社というだけではなく、和歌山県の伝説の女性である名草戸畔の頭が葬られていると伝えられている神社です。名草戸畔の名前は日本書紀で一文だけで登場していますが、当時のこの地域の統治者であり、神武天皇の一行と闘った人物として地元では知られています。

この名草戸畔に関しては作家の「なかひらまい」さんが「名草戸畔」の本を著している他、和歌山市を拠点とした舞台活動している劇団ZEROが「名草姫」を演じています。作家、芸術家がこの伝説の女性を現代に蘇らせてくれているように、地元では縁のある神社「おこべさん」として慕われているのです。

さて、この境内にある碑には、小野田さんの次のような言葉が記されています。

宇賀部神社 小野田寛郎さんの碑

「もし絶望の淵に追いやられたらどんな小さな事でもいいから目標を見つけることだ。その実現のために生きることだ。死を選んではならない。なぜなら人は『生きる』ために生まれてきたのだから」。

小野田さんの著書「生きる」から引用した言葉なのですが、とても素晴らしい故郷の先輩の言葉です。

「人は生きるために生まれてきた」存在であり、生きることこそ生きる意味だということです。

「人は何のために生きるのか」という問いを探すことが人生だという人もいますが、小野田さんによると「生きることが大事なこと」だということです。

当たり前のことですが「生きていること」が奇跡であり、かけがえのないことですが、そのことに気付かないでいます。意味が見つからなくても「生きているから意志さえあればできる」のであって、「生きていなければ何もできない」のです。郷土の偉人の言葉は、和歌山県での自殺率の高さやいじめ問題などが発生していることを予知していたようであり、この言葉が生かされていないことを悔しく思っている筈です。

宇賀部神社 小野田寛郎さんの碑

フィリピンルバング島のジャングルの中で、日々、生き抜くことだけを考えていた小野田さんにすれば「生きていることが特別なこと」だと思わないで、自らの命を絶つことを嘆いているに違いありません。

郷土の先輩が警鐘を鳴らしていた言葉を今の時代に蘇らせて、子ども達に「生きること」と「命の大切さ」を伝えたいものです。郷土に生きる大人の責任として・・。