「普段着で気軽に行ける商店街」という話を聞かせてもらいました。和歌山市で育った人にとっては懐かしい思いと共に納得できる話です。昭和40年代は、まちに行く時は「よそ行きの服」を着ていくことがありました。当時のまちとは「丸正百貨店」と「ぶらくり丁」のことで、この本町に行く時は普段着ではなく「よそ行きの服」で行ったものです。その頃は、自動車が普及していなかったので路線バスに乗って出かけたものでした。
自宅からバスの停留所まで歩いて行き、そこから本町で下車し、ぶらくり丁を通って丸正百貨店に行くことが楽しみでした。そんな楽しみだった丸正百貨店に行くことができたのは、一年の内5回程度だったような記憶があります。自動車がないから頻繁に行くことができなかったので、年に数回のお出かけが楽しみでした。当時の子ども達は、みんな同じように楽しみにしていたと思います。屋上にあった丸正食堂で食べたお子様ランチも、懐かしく覚えています。
ただ、子どもだった僕を丸正百貨店に連れて行ってくれた母親も今はいなくなり、昭和の風景も、当時の賑わいのあった景色も消えてしまったように感じています。
賑わっていた当時と同じような商店街に再生することはできませんが、和歌山大学経済学部の足立教授が唱えている「ノスタルジー的な価値」がある場所だと思いますから、これから先も中心地の中の商店街として将来に続くような再生を目指す方法があると思います。
このように現在のぶらくり丁は当時の面影がないぐらいシャッター通りとなり寂しいので、何とか再生を図って欲しいと期待している人は多数います。再生の方法は「よそ行きの服」を着ていく商店街ではなくて普段着で行ける商店街を目指すことも検討項目です。
気軽に行ける、店主と会話を楽しめるなど、お客さんと店主が触れあうことができる商店街のまま再生して欲しいと思います。そのためには近隣に居住空間も必要で、商店街の隣接地域にマンションや福祉施設、医療モールも必要となります。居住する人が増えて、その人達が買い物でぶらくり丁に出かけるようなまちづくりが理想だと思います。
そこにインバウンド観光客も訪れたくなるように、地元色を出したお店でありたいと思います。
そんな普段着で行けるようなお店であれば、観光客も会話を楽しんでくれると思います。
高知市の商店街を視察した結果を読んで「負の存在となっているものを立ち直らすには100年かかりますしムダです。潰してゼロから仕切り直しすること10年内で活性化します」という意見を寄せてもらっているように、シャッター通り商店街はゼロからスタートさせることが再生への道だと考えています。
高知市の中心地には「ひろめ市場」と「はりまや橋商店街」があり、地元の方は勿論のこと、観光客やインバウンドのお客さんが訪れて買い物や飲食する観光スポットになっています。特に「ひろめ市場」は、「ここは絶対に行って欲しい場所です」として推薦してくれていたスポットであり、賑わい創出のヒントが点在している場所でした。形容するとしたら、「居酒屋の集合体」、「居酒屋型フードコート」、「居酒屋ガーデン」とも呼べるような他にはないタイプの飲食街になっています。
賑わいを創出する拠点をまちなかに据えることによって、中心地の商店街を再生しているのです。ここには高知城とお城を知ることのできる歴史館がありますから、観光地としての機能も持たせています。先を見据えて商店街の再生を図れたのは、高知県や高知市に先見の明があったことを感じます。それは高知県の職員さんがまちなか再生に関して、案内しながら話してくれた言葉として「ここ数年間は、全力でフルマラソンを走っているような仕事」をしてきた結果だと思います。
本気の仕事がまちなか再生という困難な事業を成し遂げた要因だと思います。高知県を見習って、今こそ本気で、まちなか再生に向かうべき時期に来ていると思います。同じ地方都市である高知市や高松市の商店街が再生しているのですから、和歌山市がやれない筈はありません。この二か所の先進事例を視察してきたので「次は和歌山市の番だ」という気持ちで取り組みたいと考えています。