北海道中川町パンケナイ川で鮭の遡上を見ました。産卵するために川を遡上している姿に感動しました。命が尽きようとしている中、卵を産むための場所を懸命に泳いでいます。周囲には命が尽きた鮭もたくさんいますから余計に頑張れと思います。鮭は命をつなぐためだけのために危険を冒してでも故郷の川を遡上する。ただ命をつなぐためだけです。
命をつなぐこの当たり前のことに感動するのは、人はその価値よりも他のことに価値を見つけようとしているからだと思います。鮭の子どもは親がいたことを知りませんから、今日見たドラマも知ることはありません。親は子どもを見ることも育てることもありませんが、尊い命はつながれています。
野生の営みは命を感じ、考える機会になります。自然は厳しいものですが、とても大切なことを教えてくれます。自然が命を与えてくれ、育んでくれるのです。この天が与えてくれた奇跡の循環に感謝する念を抱きます。
与えられた自然の中で人は生きていますから、自然環境に変化を与えることは生きられる環境を自ら狭めているようです。命を奪うこと、断つこと、粗末にすること、そして生かさないことは、命あるものとしてやってはならない行為です。
故郷で生を与えられ大海に泳ぎ出して年と共に成長し、やがて年月を経て故郷に帰る。そんな命を得たものとしての旅の終わりに、新しい命をつなぐために最後の力を振り絞って川を遡上する。鮭というよりも命あるものの尊さ、美しさを感じます。生きている旅は素晴らしく、しかし厳しく、やがて終わりを迎えて無に帰する。何も残さないことがこんなに尊いものなのかと思います。素晴らしい旅の途中にいることを幸せに思います。
北の大地は本州と違う感覚があります。広大さ、優雅さ、生き物の姿、大地の香り、南樺太を遠くに感じる海。秋の北の大地は静かに冬を迎える準備をしています。
昨日は人が生きることの意味を確かめた一日であり、今日は生き物と自然の命の営みを感じた一日になりました。大切な命ですが、日常生活の中においてその尊さを実感する日はそれほど多くありません。命の尊さは人の生き方や大切な人の死などによって実感するものですが、今回は映画「氷雪の門」の慰霊碑を訪ねたことによって、そして産卵のための鮭の遡上の姿を見ることによって実感することができました。歴史を知ることと自然界の営みによって命の大切さを実感させられたことになります。
こんな命を実感できる物語の舞台を訪れることができ、また間近に見ることができたことに深く感謝しています。
帰路は稚内空港から新千歳空港まで行き、そこから関西空港に戻りました。北の端から紀伊半島まではやはり遠い。そう感じられる帰路の時間でした。
余談。日曜日に本居宣長の日本地図を拝見しました。今の日本地図は固定化されていますが、本居宣長の日本地図は北、東、西、南と方角が記されていました。つまり歩いて移動するために日本地図をひっくり返したり、横に向けたりして活用していたのです。江戸時代の人は固定観念に囚われない見方をしていたのです。
そんな見方をして日本地図を反対にすると和歌山県は半島で国土から外れた場所ではなく、一番上位に来る場所になります。稚内市は日本の最北端の地ですから何故か共通点があることを感じました。半島の先は終わりの地ではなく海を隔ててその先の大地、希望を見つけられる最先端の場所なのです。
最北端と本州最南端、開発がされていない場所ではなく、古からの自然環境が今も残る、命を感じる素晴らしい場所だと思います。