活動報告・レポート
2019年9月30日(月)
9人の乙女慰霊碑

今朝、研修のため和歌山市から関西空港に、そこから羽田空港、そして稚内空港へと向かいました。そして稚内市内に入るのですが、ここを訪ねるのは今回が二度目となります。稚内空港に降り立つともう冬の季節を感じるような涼しいというよりも少し肌寒い気温でした。「少し寒いかな」と感じるようで、最北端の稚内市に来たことを感じさせてくれました。

さて空港から早速、稚内市内に向かい、そこから北方記念館に向かいました。この記念館の二階には映画「氷雪の門」の紹介と当時使われていた電話交換機が展示されています。映画で主役となった9人の乙女の本人の顔写真も展示されています。写真の中の彼女達はまだ若く、そんな年齢でこの国を護るために自らの命を絶ったことが信じられないように思います。

北方記念館 映画「氷雪の門」展示 北方記念館 映画「氷雪の門」展示

日曜日の映画上映会で久しぶりに「氷雪の門」を鑑賞したばかりなので彼女達の行動や気持ちが分かり、前回、ここを訪れた時よりもはるかに感激しました。この9人の乙女の物語はこの南樺太の歴史を知り得た人が語り継ぐ責任があると思いますから、今一度、稚内市のこの場所を訪ね確認したいと思っていました。

北方記念館 映画「氷雪の門」展示

やはり現場に来ることで得られる空気感と内心から沸き起こる感情があり、この感情が人に伝えるために必要な言葉を生み出してくれます。人に伝えるためには体験が必要だと思っていますから、その舞台に行くことはとても大事なことだと認識しています。体験のない言葉は深くないばかりか感情が入っていないので、伝える人の気持ちが相手に伝わりません。この場所は歴史の出来事を知ることができるので、歴史と現場の重みを実感することができます。

展示されている電話交換機の前で、彼女達はソ連軍が侵攻してきた最後の時まで職務を全うし、もう駄目だと思って自決した彼女達の気持ちを想像すると涙が出ます。南樺太を守るため、北海道を守るため、そしてわが国を護るために責任ある仕事をした皆さんの姿は美しく、その時の状況を考えると誰でもできた行動ではないと思います。

当時、男性はソ連軍と戦い、女性も大切な役割を果たした南樺太で起きた事実。この歴史における事実を決して風化させてはいけないと思います。

9人の乙女の慰霊碑

そして北方記念館を鑑賞した後に、9人の乙女の慰霊碑と氷雪の門のオブジェのある場所を訪ねました。前回、稚内市に来た時には立ち寄れなかった箇所なので、今回は9人の乙女の慰霊碑を訪ね、心から感謝の気持ちを伝えたいと思い、この慰霊碑の前に立ちました。平和な日本が今あるのは、命を賭してこの国を護ってくれた皆さんのお陰だと深く感謝しました。この平和がいつまでも続くように、その意思を引き継ぐことを心で伝えました。

当時、彼女達は電話交換手としての職務を遂行することを選択しましたが、本心は「生きたかった」に尽きると思います。侵攻され精神的には追い込まれながらも、本当は最後まで生きたかった筈です。もう駄目だと覚悟を決めて、全員で青酸カリを飲む時の気持ちを思うと言葉はありません。命をかけてでも守りたかったもの、それは平和であり愛する人だったと思います。

平和は守られることになりますが、全てではありませんが、父母や好きな人もまた命を絶たれたのです。戦争は何も残さない。だからこの先二度と繰り返してはいけないのです。

戦争の歴史を知ること。伝えること。行動すること。わが国で戦争が起きていない時代を生きている私達がやるべきことです。南樺太で起きた事実を知り伝えることが、彼女達の命を懸けた行為に報いることです。

氷雪の門のオブジェ 9人の乙女の慰霊碑

映画「氷雪の門」を上映した時、「これまでこの映画のことを知らなかった」という声がありました。この映画の物語を観て感動してくれたなら、またその人が誰かにこの物語を伝えてくれることになります。知ったこと、感動したことを語り継ぐこと、その大切さを感じます。

今回、僕は久しぶりに映画「氷雪の門」を見て、稚内市にある慰霊碑を訪ねることによって、心に強く南樺太の歴史が刻まれました。一人でも多くの人にこの地を訪ねていただき、稚内市から海を隔てて北の方向にある南樺太の歴史を想像して欲しいと思います。

確かにあの時代に南樺太で生きていた日本人がいたこと。その地に暮らす人々を守ろうとしたことは尊い行動です。そんな皆さんに敬意を表し、心から感謝いたします。