活動報告・レポート
2019年9月22日(日)
お彼岸
経験

昨日、研修会に行った時の写真ができたので参加者で見たのですが、写真で見ると行った時のことや研修会の内容などが鮮明に思い出せます。毎日が慌ただしく過ぎていきますが、時間を確保して非日常的な時間を創り出すことが大事だと思いました。日常こそ大事なのですが、それだけでは小さくなってしまいます。違う視点を持つこと、行ったことのない場所、食事などを取ることで視点は広がります。そんなことを繰り返して人は伸びていくのだと思います。現場視察に行くこと、記録に残すこと、後日、話し合うことがとても大事だと感じる時間でした。

やはり経験したことは思い出せますし、人に話をすることができます。新しい経験を人に話せるということは、それまでの自分よりも成長しているということです。こんな経験をたくさんしたいものです。

商店街再生

中心市街地を再生するための話し合いに参加しました。かつて和歌山市で最も賑わいのあった商店街ですが、日曜日にも関わらず人通りが少ないことを寂しく思います。今朝、10時前でもシャッターを閉めているお店が多く、人通りが少ないのです。かつてのような賑わいを取り戻すことは難しいと思いますが、何か対策を講じなければ、益々人が集まらない商店街になっていきます。和歌山市でも郊外の大型商業施設が賑わいを見せていますが、イベントなどがない限り、中心地の賑わいは失われているのです。

商店街 商店街

今朝は、この商店街を再生するために何ができるかを話し合いました。本気度と、熱意の継続、行動力と資金調達が鍵となると思います。

法話

法話を聞かせてもらいました。その中で「できないことはない」との話がありました。知識と知恵、そして経済力があり人のために生かそうとする気持ちがあった場合に「できないことはない」という意味だそうです。だから「知識と知恵、経済力を人のために生かせる人になって欲しい」ということを伝えてくれたものです。

自分とその周囲の人がそんな人になれば、社会が変わり、この国も変えることができると熱意をもって説明してくれました。変えられないのは、そんな思いを持った人が少ないからで、「少ない」不満を言うよりも、生かせる人を増やせるよう呼び掛けることが大切なことも伝えてくれました。

話の最後に「人を生かす、人を癒せる人になって欲しいと思います」と笑顔で話してくれました。大切な話を聞かせてもらいました。ありがとうございます。

お彼岸
お彼岸

お彼岸なのでお墓参りに行ってきました。お寺は和歌浦湾の向こうに、和歌山マリーナシティと海南発電所が見えるところにあります。

お寺ではお彼岸の法話が開催されていたので、話を聞いてきました。お坊さんでも修行している時は阿弥陀如来さまが明確に「存在する」と答えられないことがあるようですが、修行を終えた後は「存在する」と明確に答えることができるそうです。このことは、存在しているか否かの問題ではなく、厳しい修行の年月を通じて信じる心が醸成されたことに意味があると思います。中途半端な修行、専門的な教えを受けることなく、中途半端な知識程度では、見えないものを信じることができないからです。信念に基づいて信じられることができるのは修行の賜物であり、そこに辿り着くことが尊くて、信念に基づいて人に説法を施すことができるのです。

数年前まではお坊さんではなかった方が厳しい修行を行いお坊さんとなり、阿弥陀如来さまが存在すると確信を得て、私達の前で自信を持って話をしてくれたのです。修行をしていない人、信じていない人が説法をしても説得力はありませんから、この法話から「人に話すためには自分に厳しくあり、経験を重ねて信念を持ったことを人に話すことができる」という学びをいただきました。

人前で話をする方々の話から得るものはたくさんあります。学びに資する時間を取ってもらったことに感謝いたします。