活動報告・レポート
2019年9月18日(水)
一般質問二日日
一般質問二日日

県議会一般質問は二日目となりました。僕は二人目なので午前10時40分から登壇いたしました。事前通告に従って一般質問を行い、知事、教育長、県土整備部長そして環境生活部長と質疑を交わしました。知事とは「和歌山県誕生150年の記念式典開催について」と「外交史料と近代日本のあゆみ展について」の質疑を、教育長とは「和歌山県誕生150年の記念式典開催について」。県土整備部長とは「南紀白浜空港について」、そして環境生活部長とは「メガソーラー計画について」の質疑を交わしました。

一般質問二日日

それぞれ責任ある回答をいただくことができました。知事からは「国民文化祭、和歌山県誕生150年に向けて、ますますやる気が湧いてきた」という趣旨の答弁がありましたし、県土整備部長からは「南紀白浜空港が地域創生型空港になり得るもので、県と協力して拠点化を進めていく」旨の答弁をもらいました。

そして生活環境部長からは「メガソーラーは地元からの意見提出や災害時などの不安がある限り、事業者の対応が不十分であれば厳しく審査していく」ことを本当に力強く答弁してもらいました。

生活環境部長の答弁はとても力強く議場内に響き、意思疎通が図れた空間になったような感じがして感動しました。県政の変わらぬ基本は県民の安心と安全確保にありますから、それを護るために県政があることを実感しています。地元の皆さんの意見、現場感覚を大事にして取り上げている案件を議論することで信頼関係が構築でき、当局の皆さんに理解してもらえる感覚があり、議員としての活動のやりがいを感じられます。現場の意見を訴えてそれを理解してもらって県益、そして県民の方々の安心と安全を護っていくことにつながれは、県議会の議論によって県政は前進していると思います。

議員は現場と皆さんの意見を大切に聞いて、思いを飲み込んで消化する、それを自分の言葉として行政を説得することが役割です。行政職員さんは情報があり法律、条令に長けているので、議論して導いた結論の工程を作り上げます。議員は質疑で得た結果に基づいた内容になっているのか、そして皆さんの意見を反映させたものになっているかなど確認して形作っていきます。行政と議員が共に政策を議論して、民意に沿った形として考え方、政策を作り上げていくことが議会制民主主義の根本だと考えています。

今日のような議論が交わせるとこれから先の道筋が見通せますし、県民、地元の皆さんへの説明も果たせることになります。

議論の果てに好ましい結果が待っている。条例や法律と現場の実態と意見を混じらせて、そこから議論を交わして深めていき、方向性を理解し合えたことを嬉しく思います。やはり議場で思いや政策提言を伝え、当局と質疑を交わすことが県政を進めることになると確信できた一般質問になったと感じています。

知事は和歌山県誕生150年記念式典について、明るくやる気を見せてくれました。

教育長は子ども達の将来のために「外交史料と近代日本のあゆみ展について」の呼び掛けと外務省への修学旅行の実施について慎重に答えてくれました。

県土整備部長は南紀白浜空港の将来像を丁寧に、そして将来の姿を見通せるように語ってくれました。

そして環境生活部長は、言葉に魂と力を込めて強さを感じる答弁をしてくれました。活字では表すことのできない言葉の強さが秘められていました。これは議場での肌感覚ですが、皆さんの思いは実現すると感じることができました。

知事、関係部長、そしてそれぞれの項目を担当して議論を尽くしてくれた職員さんに感謝しています。

そして傍聴にお越しいただいた皆さんに深く感謝しています。皆さんの応援力のお陰で今日の質疑は動いたと思っています。

海南支部定時大会

海南発電所の海南支部定時大会が開催されました。来賓としてお招きをいただきましたが、ご存知の通り、海南発電所は平成31年3月31日で廃止しており、海南支部も令和元年9月30日をもって解散することになっているので、この大会が解散大会という位置づけになります。

第51回目の大会が海南支部にとって最後の大会となり、その歴史は幕を下ろすことになります。冒頭の委員長挨拶の中で、海南発電所が運転開始した時の委員長の挨拶の引用と時代背景の説明がありました。

それによると昭和45年5月21日に海南発電所は誕生します。この昭和45年は大阪で万博が開催された年で関西は大いに活気があった時代でした。「エキスポ70」の言葉が記憶にあるように1970年が昭和45年、日本経済は伸びている真っただ中で、大型電源である海南発電所は関西の経済事情に合わせて誕生したように思います。

そして翌年の昭和46年は、和歌山県で初めての国体、黒潮国体が開催された年でした。誕生した時の関西はこのように元気があり、伸びていく時代だったのです。同時に負の側面として、公害問題が発生したのもこの年でした。公害は大きな社会問題となり、重油を焚く海南発電所は地域の悪者になった時期もありました。

日本経済の発展期に生まれ、デフレの時代が続き現在にその役割を終えようとしています。

誕生から廃止まで49年が経過しています。その間にここで働く人々のドラマがあり思い出が詰まっています。海南発電所、海南支部の歴史の幕を下ろす時を見届けるのは寂しいことばかりですが、時代は変わってもここに海南発電所があったことは事実ですし、関西経済を支え一時代を築いたことは語り継がれる存在だと思います。

そして委員長が引用した海南発電所が誕生した時の初代委員長の挨拶が残っていることも凄いことです。確実に歴史は記録され、令和の時代に私達に言葉として伝えてくれたのです。話した言葉が記録されて残っていることの重さ、歴史がある。本当に凄いことです。初代委員長は令和の時代を知りませんし、解散のことも知りません。しかし解散大会の時にその発した言葉が蘇るのですから、言葉の大切さを感じざるを得ません。言葉が残っているから語り継げる歴史になっている。そう思います。

今日の解散に際しての委員長の挨拶の言葉も歴史の中に付け加えられました。いつか私達の知らない時代、後輩たちが、今日の言葉を蘇らせてくれることだと思います。発する言葉の大切さ、残る言葉の重さを実感しています。

さて僕の大会での挨拶の趣旨も記します。

海南支部定時大会

こんにちは。第51回目を迎えた定時大会にお招きをいただきありがとうございます。解散の決議がなされる大会なので寂しさがありますが、思い出を話して挨拶とさせていただきます。

ここでは毎年、環境月間に芝生広場を地域に開放して賑わっていたことを覚えています。毎年、お手伝いに来ていましたが懐かしく思います。そして、森井社長が芝生広場に来て懇親会を開催した時のことも覚えています。

その後、議員活動をずっと応援、支援してくれていることで今があると感謝していますし、東日本大震災の後、電源が不足した時代にあって海南発電所がフル稼働をして関西の経済を支えた時期もありました。その時の発電所のご苦労は知っていますし、発電所の実情を知ってもらうために知事に発電所に来てもらったこともあります。その時の働く姿を見て、海南と御坊で発電した電源を他府県に移出した分を和歌山県に還元してもらうことを考え、経済産業省に電源移出交付金に大型火力電源も加えてもらうことを、政府要望にすることにつながりました。

海南支部定時大会

その後、和歌山県長期総合計画に大型電源の必要性と和歌山県発展は火力電源と共存することを明記してもらいました。昭和45年から運転を行っている海南火力発電所はもはや和歌山県の産業であり、和歌山県は大型火力電源と共にあると考えた訳です。

長期総合計画にも記載され、この先も和歌山県と共に存在すると思っていた発電所がその役割を終えるとは思ってもいませんでした。

解散することは寂しい限りですが、その精神はここで働いた皆さんによって引き継がれるものですし、地区大会でも話したように新しく地区役員として活躍してくれるKさんが受け継いでくれるものと思います。

これまで大変お世話になったことに感謝申し上げ、51回目の大会の挨拶といたします。ありがとうございました。